友だちを増やすために「趣味」を始めるのは間違い? 趣味を増やしても友人は増えない
◆「仲間との付き合い」に対する考え方 飲んで楽しみたい人がいることは理解しますが、飲んでいる本人はよくても、飲まずに付き合う側にとっては、まことに堪え難い苦痛だし、短い人生をそんなことで一分一秒だって無駄にしたくない、と私は考えています。 あるとき、いつものように熱心な誘いを受けたので、次のように答えました。 「同期会に参加したい気持ちはあるけれど、お酒を飲む場にも、喫煙する場にも行きたくない。ぜひ今度は昼間の時間帯に、酒なし・お茶だけ・全席禁煙のお店で茶話会(さわかい)として開催してくれないか。そうしたら行くから」すると、なかなか気の利いた幹事がいて、「ぜひ来てほしいから、希望通りにするよ」と言い、実際にその通りの会場を設定してくれたのです。 当日は午後三時くらいから新宿のある店に集合し、お茶を喫しながらみんなで楽しく時を過ごしました。 五時くらいになり「これからお酒を飲みながら続けよう」という流れになったので、私はそこで切り上げてさっさと帰宅しました。 ずいぶんドライだと思われたでしょうが、気にすることはありません。飲み会でだらだらしゃべっているような仲間は、本当に友だちと呼べるのでしょうか。
◆還暦を過ぎてからの友情 頻繁に会ってお酒を酌み交わさなくても、時々メールや手紙をやり取りするだけで、あるいは極端に申せば、何年も会わなくても、いつも心を通わせている関係をこそ、友だちというのではないでしょうか。 「この人と知り合えて良かった」と思えるような人には、一生のうちに一人でも出会えれば幸いだというもので、それだけでも人生は豊かなものになります。 私の経験では、若い時代だから良い友人に出会える、とそうきまったものでもありません。 私にとって、今もっとも親しい、そして互いに尊敬を以て付き合っている心友は、北山吉明先生という外科のお医者さんです。 しかも金沢の人で、私どもは若い頃にはまったく無縁の人生でしたが、あるとき声楽を仲立ちとして、ふとしたことから知り合いになり、たちまち意気投合、それからは二人でデュオ・ドットラーレという男声二重唱を結成して、東京と金沢で交互にコンサートを開催して歌を聴いていただくようになりました。 それだけでなく、今では無二の親友で、信州の別荘村でもそれぞれが一軒の別荘を持ち、折々にこの別荘村で落ち合って、楽しく歌い、談論風発し、食事を楽しみ、人生を論じて、倦(う)むことがありません。 還暦を過ぎてから知り合った仲であっても、そういう家族ぐるみ、無二の友情を持つことができたのは、人生の大きな幸いであったと、今では思っています。 これも趣味が結んだ友情なのですが……。 ※本稿は『結局、人生最後に残る趣味は何か』(草思社)の一部を再編集したものです。
林望
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