公道を使ったレースが実現した日
過去の記録を覆して晴天を持ってきてくれたのは、VICICの創始者、初代会長の故本田耕介さんじゃないかなと思う。爆発的な人気を博した富士グランチャンピオンシリーズから始まり、日本で初めて富士スピードウェイで開催されたF1GPの事務局長を務め、世界耐久選手権、国際ツーリングカー耐久レース、インターF3シリーズなどをプロモートした日本モーターレーシングセンターの社長として日本のモータースポーツと世界を結びつけてきた立役者。25年前本田さんは「東京グランプリ開催をめざす会」を発足。描いていた公道を使ったレースが没後17年を経て快晴の空の下で実現した。
文:高橋 二朗
高橋 二朗