渡邊圭祐の変わらないもの「ポリシーはない。ただ、何事も楽しく生きていたい」
正義か悪かは、どちらの視点で見るかで決まる
『南総里見八犬伝』といえば、これまで映画や舞台で何度もリメイクされてきた。本作と先達の作品との大きな違いは、信乃らの冒険活劇を描く「八犬伝パート」と、生みの親である滝沢馬琴が『南総里見八犬伝』を書き上げるまでを描く「創作パート」という二つの物語が同時に進んでいくところだ。 特に、善因善果/悪因悪果(良い行いは良い結果をもたらし、悪い行いは悪い結果をもたらすという考え)を標榜する滝沢馬琴が、善因悪果/悪因善果(良い行いをした者が報われるとは限らず、悪い行いをした者がいい思いをすることもあるという考え)を唱える鶴屋南北と対立する場面は、本作ならではの見応えだ。 「僕は滝沢馬琴の考えもわかるし、鶴屋南北の考えもわかる。自分の中に両方ある気がします。というか、結果をコントロールすることなんてできなくて。だからこそ、つい後から理由をつけたくなるものなんじゃないかな、というのが僕の考え。たとえば何か悪いことが起きたときに、後から『きっとあのとき、ああしてたからこうなったんだ』って考えがちじゃないですか。でも本来そこに因果関係はなくて、人が勝手に結びつけて納得したいだけなんじゃないかなと」 その合理的な考え方は、渡邊のスマートな雰囲気にとても合っている気がした。 「結局、理想か現実かみたいな話で。人ってそういうのが好きだから、つい論争が起きるんだと思います」 そう泰然と構える渡邊に、渡邊圭祐は現実主義者か理想主義者かと尋ねると、笑みを崩さず、さっぱりと答えた。 「どちらとも思っていないです。現実とか理想とか、正義とか悪とか、そういう事柄に対して何とも思わない性格なんだと思います。ヒーローものって、大抵正義と悪が出てくるじゃないですか。あれも主人公の視点によって、どちらかが正義で、どちらかが悪と決まるだけで、悪とされた側も本人たちは正しいと思ってやっている。結局、見方の問題なんですよね。だから両方それぞれに納得できる理由があるなら、僕はどちらも正義だと思う人間です」