医学部に進学してから「ADHD」だと知った私が精神科医になるまで
“失敗”を前向きにとらえる
最初は小児科の勉強をしていましたが、精神科に切り替えました。薬物療法とのつきあい方も変え、ルーティンを組み立てたり、過去の“失敗”を前向きにとらえたりと、行動面の修正も行いました。 たとえば、予定よりも半年遅れて卒業した“失敗”は、ほかの人々を助けるため、自分の特異な脳について学ぶための貴重な時間だったと考えられるようになりました。その結果、私は自分のトラウマをより深く理解し、医師として、また一人の人間として、より包括的なビジョンをもって学校を卒業できたのです。 適切な環境と行動の変化は、私の脳にとって栄養のようなもので、必要不可欠なものだと気づきました。自分の欠点を嘆くかわりに、長所(クリエイティビティや粘り強さ、人生へのパッション)を生かすようになったことで、“なまけもの”や“困難に打ち勝つ自制心がない”といった、私に付きまとっていた言葉から脱却をできたのです。
「勇気をもってその道を歩んで」
そして今、私はADHDを専門とする精神科医になりました。当時小学4年生だった私が、ADHDだからといって軽蔑されず、また私の身近な人々も、もがき苦しむ私に長年耐えるという精神的な悩みを経験せずに済んだなら、と思います。 ただ私たちがこういう道のりをたどらなかったら、ADHDは私にとって情熱を傾けるべきプロジェクトにはならなかったかもしれません。患者さんたちに手をさしのべ、SNSを通して啓発することは、私にとっても大変意義のあることです。 もし自分の脳はちょっとちがうと感じているなら、自分でできる最善のことは、自分の脳がどういう動きをしているかを知ること。ADHDがある人は、なまけものでも、不道徳でもありません。 あなたには素晴らしい、回復力のある心があり、標準的な神経を持つ人たちに合わせるためのアドバイスが必要なだけ。だから、自問しながら、勇気をもってその道を歩んでください。その先には、美しい世界が広がっているはずです。 ※本記事は、Hearst Magazinesが所有するメディアの記事を翻訳したものです。元記事に関連する文化的背景や文脈を踏まえたうえで、補足を含む編集や構成の変更等を行う場合があります。