ジョージ・クルーニーとブラッド・ピットが画面を支配 映画館で観たかった『ウルフズ』
ジョージ・クルーニーとブラッド・ピット。誰もが知るハリウッドスターでありながら、いまでは映画の製作側でも活躍している、アメリカ映画界を代表するカリスマだ。そんな両者がダブル主演を果たし、まさに「爆イケオジ」といえる役柄を演じて話題を集めているのが、Apple TV+で配信が始まった映画『ウルフズ』である。 【写真】『ウルフズ』場面カット(複数あり) 「狼」を表す英単語は「ウルフ(wolf)」。その複数形は通常「ウルブズ(wolves)」となるはずなのだが、ここでは映画のタイトルをあえて「ウルフズ」としたことが、本作『ウルフズ』の内容をそのまま物語っているといえる。本作『ウルフズ』でクルーニーとピットが演じる、「フィクサー(面倒な出来事を解決する者)」は、それぞれに都会の影で暗躍する「一匹狼」であり、群れることを嫌う存在なのである。そんな二人が、互いを邪魔に思いながらもタッグを組まざるを得ない状況に陥る。一匹狼が二匹狼になるのでなく、一匹狼と一匹狼のコンビだからこそ、彼ら二人を「“ウルフ”ズ」と呼ぶというわけだ。 ニューヨークのある高級ホテルの一室……地区検事長の女性マーガレット(エイミー・ライアン)が、出会ったばかりの若い男性と“不適切な関係”を楽しんでいるときに、男性側が突然倒れ込み完全に動かなくなってしまうという出来事から、物語は幕を開ける。こんな事態が明るみになってしまっては、彼女のキャリアは途絶えてしまうことになるだろう。違法であることを知りつつも、焦ったマーガレットは以前話に聞いていた人物に連絡することとなる。 電話に出たのは、“プロ中のプロ”であるフィクサー(ジョージ・クルーニー)。彼はシャーデーのヒット曲で、“要領のいい男”のことを歌った「スムース・オペレーター」を聴きながら、ピンチの女性が待つホテルへと黒のBMWを走らせる。だが、仕事を始めたフィクサーのもとに、今度はブラッド・ピットが演じる、やはり“プロ中のプロ”である、もう一人のフィクサーが現れる。もう一人の人物は、隠しカメラで事件の一部始終を見ていたという、ホテルのオーナーを名乗る謎の女性に依頼され、事件が明るみになることでホテルの評判を落とさないよう、また別のルートから雇われたフィクサーだったのだ。 初めて邂逅した同業者二人は、前述したように、チームなどを作らずに一人で始末をつけるスタイルの一匹狼。雇い主同士の話し合いの結果、二人は不本意ながら協力して仕事にあたらねばならない流れになるが、共通点が多い彼らは、同族嫌悪と自身の仕事のプライドから、ことあるごとに張り合い、嫌味を言い合いながら仕事を完了しようとするのだった。事件は彼らの奔走によって闇に葬られるはずだったが、いままさに片付けようとする男の持ち物に大量の違法ドラッグを発見することで、事態は混迷を深めていくことになるのである。 二人は、思いもよらぬトラブルを解決するため、ハーレムやチャイナタウン、ブルックリン橋など、夜のニューヨークを駆け巡っていく。それだけに、黒を基調にした色彩設計でスタイリッシュに街並みが映し出されるところも見どころだ。裏の世界に生きるプロフェッショナルな一匹狼二人の、大都市での一夜を描く映画といえば、マイケル・マン監督の『コラテラル』(2004年)が思い浮かぶ。『ヒート』(1996年)で、俳優たちに実弾による射撃訓練をさせたほど“本物志向”のマン監督の硬派な作風を一部でなぞっていると感じられる面において、本作は所々にリアリティを逸脱するユーモアを挟み込みつつも、映画作品としての本格的な充実感に溢れているという印象を持つ。 本作はアメリカ、日本などで劇場公開される予定だったが、急遽Apple TV+での配信作品へと切り替えられた(アメリカの一部劇場では限定公開された)。だが本作の映像美を見ると、劇場で観られなかったことを残念に思う観客は多いだろう。劇場への配給における企業間のトラブルの可能性も考えられるが、価値の高い作品だからこそApple TV+は、本作を基本的に独占配信作品とし、加入者増加へと繋げる道を選んだとも想像できる。 映画ファンにとって、配信作品になったことで残念なのは、映像美だけではない。俳優としてのクルーニーとピットは、前述したように長年の間スターとして知られ、いまだ強いカリスマ性を発揮している、映画界のアイコンでもある。そんな二人が同時に画面に登場するだけでも、強い緊張感が生まれることとなるが、ジョン・ワッツ監督が自ら書き上げたシンプルな脚本は、ストーリーに俳優を従属させるのでなく、逆に二大スターの魅力を引き立てる枠組みを用意することを優先したことで、そんな一つの“イベント”を強く強調している。すでに本作の続編の製作が決定しているという状況は、このようなコンセプトとしての強さが作品にあるからだろう。 強力なスターを前面に出して画面を支配する手法というのは、古典的なハリウッド映画におけるスタンダードなスタイルであり、「いかにも映画らしく見える映画」だといえる。この種のケレン味は、ナチュラルなかたちのさりげない映像を目指す流れからは逆行したものだ。例えば、スター俳優が“スター然”として登場しないからこそ、よりカッコよく見えるという価値観が、よりモダンな演出方針とされてきたということである。もし、古い年代のハリウッドの作品群に馴染みがなければ、本作こそが、かつて主流だった価値観で撮られた作品だということを意識しながら、楽しんでほしいと思う。 ジョン・ワッツ監督は、マーベル・スタジオの『ファンタスティック・フォー』映画を降板し、本作の製作を開始したことが、かねてより報じられている。青春映画の文脈で撮られた『スパイダーマン』シリーズで成功を収めたワッツ監督だが、当時まさに流行のさなかにあったヒーロー映画から離脱し、「オールドスクール」といえる本作を手がけたというのは、興味深い点だ。この路線の変更は、映画監督としての幅を広げようとする試みであることはもちろんだ。しかし同時に、ワッツ監督は、この古くから続く映画の魅力へと回帰することが、むしろ次なる映画の流行の流れに沿ったものだということに、鋭い感覚で気づいたということなのかもしれない。実際、本作は多くの観客に支持されているのだ。 本作『ウルフズ』が、いまのところ日本の映画館で鑑賞できないというのは返す返すも残念だが、そうなった以上、この状況をできる限りポジティブにとらえるしかない。例えば深夜の時間帯に、薄く間接照明を灯しながら暗い室内で本作を流しつつ、バーボンをロックで楽しむといったような、鑑賞する作品のテイストに合わせた雰囲気づくりを自分でおこない、映画館ではなかなか実現できない工夫を含めてエンジョイするということだ。スター俳優の大作であり、「いかにも映画らしい映画」が劇場で鑑賞できないケースが出てきている現代において、観客にはそういった能動的な動きも必要ということなのかもしれない。
小野寺系(k.onodera)