大野真依“日本一美しいドラマー”ができるまで「ハイエース一台で8ヶ月かけて全国行脚」
怖さも嬉しさも感じないままステージデビュー
──入所の翌年、事務所所属の面々と音楽グループのメンバーに選ばれます。まさか最初の大きな仕事がミュージシャンとしてデビュー、しかもアコースティックギター担当。聞いた時はどう思いました? 大野 事務所の先輩にガールズバンドがいたので、そうした流れもあるだろうなと感じていました。何事も受け入れるタイプですし、何より拒むという選択肢がない状況でしたので、不安もなく「やってみよう」とすんなり受け入れて、練習に励んでいましたね。 ──とはいえお披露目の会場はZepp DiverCityという大箱。ギター未経験の大野さんがそこに立つのはどういう心境だったのでしょうか。 大野 自分たちのデビューではありつつ、あくまで先輩バンドのライブのワンコーナー出演だったので特別な緊張はありませんでした。なんならどれだけの広さで、どれだけの方が来られるのかわからなかったので、怖さも嬉しさも感じないまま、気づくとステージに立って、ライブを終えていました(笑)。本当に無知って怖いなあと今になって思います。 その後の活動も、いろいろステージが用意されつつ、何かを目指すところまでグループが出来上がっていなかったので、上を見ずに楽しく活動していこうと、悩むこともなく活動していました。 ──本当に“気づいたら”の連続なんですね。そうした中、意識が変化していくキッカケになったのは? 大野 2020年に清原梨央が加入して、「きみとバンド」として本格的に動き出してからです。本格的にバンドとしての形になり、デビューライブのチケットも即完売。今までにない経験に、みんなの熱量もドンドン上がり、「すごいステージを目指そう」と気持ちが変わったんです。 気持ちだけでなく編成も活動コンセプトも、「ゼロからの楽器」とガラッと変わり、それに合う楽器ということでドラムを叩くことになりました(笑)。教えてくださる松山市の青木ドラム道場の先生が「ドラムに向いているよ」といつも褒めてくださって。それが嬉しかったですし新しいことを体験する面白さもあって、どんどんドラムの楽しさにのめり込んでいくようになりました。 ──結成から4年の間、色々と経験されてきましたが、バンドとしての忘れられない出来事・気持ちを変えた瞬間は? 大野 結成して半年後に開催した「47都道府県ワンマンツアー」は思い出深いです。