シリアで大規模な反体制デモ呼んだ「落書き」、あの日の少年は「自由な国」造り誓う
アサド政権が崩壊したシリアの南部ダラアに、14年近くこの時を待ち続けた男性がいる。独裁批判の落書きによって当局に拘束され、大規模な反体制デモが始まるきっかけをつくったムアウィヤ・サヤスネさん(30)だ。「50年超の独裁政権を倒したことを誇りに思う」と喜びをかみしめ、新たな国造りに尽くすと誓っている。(ダラア 田尾茂樹、写真も)
アサド政権崩壊は「誇り」
「次はおまえの番だ、先生」。自宅そばの小学校の壁に、サヤスネさんがこう記したのは2011年2月初旬。チュニジアで独裁政権が崩壊し、エジプトで反体制デモが続くなど、民主化運動「アラブの春」が中東各地に広がろうとしていた時期だ。「先生」が、元眼科医のバッシャール・アサド大統領(当時)を指していたのは明らかだった。
当時16歳。落書きによって何が起きるか深く考えなかったという。だが、「両親も祖父母も、自由に何も話せないと憤っていた。何とか現状を変えたいという思いがあった」と振り返る。
その日のうちに他の少年2人とともに拘束され、収容施設で激しい拷問を受けた。電気ケーブルでぶたれ、両腕に手錠をかけられて長時間、天井からつるされた。「もう二度と外に出られない」。そう覚悟した。
だが、同年3月18日、思いも寄らぬことが起きる。自分たちの釈放を求め、ダラアで数千人のデモが始まったのだ。政権批判がタブーだったシリアでは、異例の規模だった。懐柔を図る政権は翌日、サヤスネさんらを釈放した。拘束は45日間に及んだが、もはや恐れるものは何もなかった。数日後にはデモに加わっていた。
一方の政権側は弾圧を強め、市民を容赦なく殺害していく。仲間が次々と犠牲になる中、数か月後には反体制派武装組織「自由シリア軍」に参加し、武器を手にした。以降、これまで平穏に暮らせた記憶はほぼない。21年には一時、トルコに逃れたこともあった。
それだけに今年11月27日、反体制派の中核組織「シャーム解放機構」の大規模蜂起を知った際は、「ついにこの日が来た」と身震いした。自らも「自由シリア軍」の一員として参戦。ダラアを制圧し、首都ダマスカスに駆けつけた時点で、政権は既に崩壊していた。