「毎日2万歩」「朝食はやよい軒でお代わり」 86歳!「こまどり姉妹」妹・葉子さんが語る「健康長寿は1日にしてならず」
「流し」でブレイク
その後、葉子さんの父は炭鉱を辞め、米の行商に転じたが、生活は苦しかったという。そして葉子さんが11歳の時、一家は新天地を求め、鈍行列車に揺られながら東京・浅草へとやって来る。 「私は美空ひばりさんが大好きで、北海道にいた頃から、ひばりさんの『悲しき口笛』などを歌うと、周囲が『うまい』『上手』などとすごく褒めてくれました。浅草に来てからもひばりさんの唄を歌う“流し”をやって、姉と2人で家計を助けていた。13~14歳の頃になると浅草界隈で『おさない姉妹』といえばある程度、名前の知られた存在になっていました」(葉子さん) “べらぼうに歌のうまい双子の姉妹がいる”――と評判が評判を呼び、1959年、日本コロムビアよりデビュー。「演歌界のザ・ピーナッツ」として「浅草姉妹」や「ソーラン渡り鳥」などのヒット曲を世に送りだした。 「私と姉の成功は父と母の存在を抜きに語れません。両親がなめた苦労はよく知っていたので、こまどり姉妹として人気が出てきた頃は、とにかく“父と母に楽をさせてあげたい”との一心で仕事に励んでいました」(葉子さん)
30年間の「蓄積」
葉子さんが続ける。 「絨毛がんから生還した後は体力を回復させるためにも“たんぱく質や栄養を摂らなければ”と考え、よく食べるようになりました。そうすると次第に体重が増えていき、最終的には今より10数キロ・オーバーの60キロ近くまで太ってしまった。そんな時、本屋でたまたま“三日坊主でもできるダイエット”といったタイトルの本に出会ったのです。本に書いてあったウォーキングを手始めに日常に取り入れてみると、ゆっくりとですが体重は減り、体調にも良い変化が現れた。最初は1日に1000歩あるくのも大変で、何度も心が挫けそうになりましたが、そのうち3000歩、5000歩が可能に……。50歳を超えてからは歩くこと自体に楽しみを覚え、毎日1万歩以上を歩くようになっていました」 とはいえ、時には「今日はもういいや」と思う日もあるというが、 「でも、次の瞬間には“1日でもやめると、これまで10年、20年と続けてきた時間がすべて無駄になる”と思い直して、自分で決めたルーティンを守っています。こう言うと、非常にストイックな話に聞こえるかもしれませんが、実はそんな難しいことではありません。歩くこと以外でいえば、私は普段、水しか飲まないのですが、たとえば“寝る前に水を一杯飲む”といった小さな決まり事を守り、それらを一つひとつ積み重ねていくだけでいい。私が年を経るごとに健康になっていると感じるのは、そうした日々の習慣の蓄積の賜物だと思っています」(葉子さん) 地道にコツコツと――健康長寿への近道はないようだ。 デイリー新潮編集部
新潮社