<センバツ>主将の石川に前回優勝をスタンドから見た父の教え「控えのサポートあってこそ」
◇第91回選抜高校野球決勝 ○東邦6-0習志野●(3日・甲子園) 最後の打者を三塁ゴロに打ち取った瞬間、チームの大黒柱はマウンドで両手を突き上げた。主将を務め、主軸も任された東邦(愛知)の石川昂弥(たかや)投手(3年)は、同校野球部OBで第61回大会の「平成最初の優勝」をスタンドから見守った父の言葉を胸に刻み、仲間を信じて9回を投げ抜いた。 【平成最後のセンバツ】決勝の熱闘を写真特集で 父尋貴(ひろたか)さん(47)は1987年、東邦野球部に入った。グラウンドや坂道を延々と走り、グラブがボロボロになるまでノックを受け、厳しい練習に耐えたが、背番号を受け取ることはできなかった。 長男の石川投手が生まれると、父はおもちゃ代わりに軟式ボールを与えて遊ばせた。3歳からは自宅前でキャッチボールや素振りもするようになった。一度教えれば、すぐに自分のものにできる息子の吸収力に驚いた。 小学校に進むと、地元の軟式野球チームに入り、父がコーチを務めた。「野球の基本を教えてくれたのは、お父さん」。石川投手の思いは、今も変わっていない。高校は、迷うことなく両親の母校を選んだ。 父が息子に技術を指導したのは小学生までだったが、その後も言い続けていることがある。「控えのサポートがあって野球ができている。感謝を忘れるな」。毎週末、父は息子の練習を見に訪れ、けがをした選手を病院に連れて行ったり、グラウンドのネットが破れると補修したりと裏方を買って出る。 2本の本塁打を放ち、相手打線を完封したこの日の主役は、試合後にチームメートへの感謝を忘れなかった。「ヒットになったと思った打球も、みんなが捕ってくれた」 歓喜のアルプス席。父は、マイクを向けられたエースを見守った。記者に感想を問われると、笑顔で少し辛口の言葉を口にした。「もっとマネジャーや、応援する部員のことも言ってほしかったな」。30年前の春、自分が立てなかったグラウンドの中心にいる息子に、伝えてきた言葉は届いたと感じている。【高井瞳】