Yahoo!メッセンジャー終了とLINEの隆盛に見るプロトコルという考え方
LINEは現在、通信に使用しているプロトコルを公開していない。メインサービスの「トーク」ではスタンプのやりとりなどにHTTPを一部使っているようだが、詳細は明らかにされていない。音声通話にしても、携帯電話で一般的なSIPプロトコルなどではなく、独自のVoIPベースの技術を利用しているとみられる。そしてこのプロトコル非公開の姿勢、さらにはプロトコルの仕様そのものに対し、通信業界の内外から強い批判が出ている。公開されていないプロトコルではあるが、限られたインターネット帯域を大きく占有し、携帯電話の通信品質そのものに大きな影響が出ていると考えられているからだ。 逆に言えばLINEは日本のサービスベンダがとらわれがちな「○○してはいけない」という発想から自由だったからこそ、現在のような無双状態を作り出せたといえる。筆者も最初にLINEを入れたとき、電話帳から削除したはずの知り合いの名前が友達として登録された画面を見て目を疑った。たかがアプリなのに、ずかずかとプライベート空間に入り込んでこられた気がして、あまりいい気持ちがしなかったことを覚えている。プロトコルに話を戻せば、「こんなに帯域を専有するような設計のアプリを作っちゃダメでしょ」という常識にLINEはとらわれなかった。その結果が今の隆盛につながっている。それがいいか悪いかを論じることもできるが、これほどLINEが若者を中心に広がった以上、「LINE汎用的なプロトコルに置き換えよ」「それができなければサービスを停止せよ」といった主張は現実的ではないだろう。 IT業界にいると「プロトコル」(通信規約)という言葉をよく耳にする。本来、プロトコルとは論理的に何かを進めるときの約束事である。たとえば議論においてもプロトコルに則っていることは重要だし、外交や儀式などにおいてもそうだ。きまった手順を踏むことで、その行為が正当であることを証明できる。革新性や独創性など、プロトコルを守っていなければ、何の意味もないただのでっち上げにすぎない。 そう考えればLINEは、プロトコル違反をいくつも犯してきたように思える。本来、プロトコルに従わない無法者は最初から排除されなくてはならなかったはずである。問題はその認識や対策よりも早く広く、LINEの魅力が世の中から支持を集めてしまったことだ。この現実は日本の通信業界に大きな変革を迫っているのではないだろうか。Yahoo!メッセンジャーの終了は、国内通信キャリア/サービス事業者のふがいなさをはからずしも象徴した出来事だったのかもしれない。