約4400万円で落札されたランボルギーニ「ディアブロ」は、全仏オープンで優勝した元プロテニス王者のクルマでした…走行距離はたった8803キロです
ディアブロの評価はこれから……?
2024年7月22日~24日にRMサザビーズがドイツ・バイエルンアルプスで開催したオークションにおいて、ランボルギーニ「ディアブロ」が出品されました。その3人目のオーナーは、元プロテニス選手で1995年の全仏オープンで優勝したことでも知られるトーマス・ムスターだったという経歴をもつ1台でした。 【画像】イエローのボディカラーが眩しい!ランボルギーニ「ディアブロ」を見る(全45枚)
ボディデザインでクライスラーと相違が生じたP132
ランボルギーニが「P132」の社内コードを掲げ、それまでのカウンタックの後継となる新型車の開発をスタートさせたのは、記録に残るところでは1985年夏のことであったとされる。当時のランボルギーニはパトリック・ミムラン率いるフランスのミムラン・グループによって、その活動が統括される立場にあったが、新世代の12気筒モデルを生み出すことは、ミムラン・グループにとっても最優先の課題であった。 当時ランボルギーニで新型車開発を指揮していたのはエンジニアであり、開発担当役員でもあったルイジ・マルミローリ。彼はまず「カウンタック」をより魅力的なモデルとするために、1988年にその最終進化型ともいえる「アニバーサリー」を生み出し、一方でP132の開発に積極的に取り組んだ。 P132の開発途中で、ランボルギーニの経営権はミムラン・グループからアメリカのクライスラーへと譲渡されてしまうが、ランボルギーニとクライスラーの間で最も大きな意見の相違が生じたのは、そのボディデザインにあったという。かのマルチェロ・ガンディーニのスタイリングによる原案に対するクライスラーによる手直し。さまざまな紆余曲折を経て、P132のデザインは完成した。
1991年にディアブロのファーストモデルが登場
P132が正式に「ディアブロ」の名を得て世界初公開されたのは、1990年1月にモナコで開催された「ランボルギーニ・デイ2」でのことだった。発表時から将来的には4WDシステムを持つVTが追加設定されることが明らかにされていたものの、ここで披露されたのはオーソドックスなRWDモデルのみ。実際の生産はこの年の夏休みを終えた秋から開始された。モデルイヤーとしては1991年がディアブロのファーストモデルとなる。 ランボルギーニにとって久々の新型車であるディアブロは、その前衛的なデザイン以外にも多くの魅力を秘めたスーパースポーツだった。ミッドに搭載されたエンジンは、最高出力で492psをスペックシートに掲げた5.7LのV型12気筒DOHC 48バルブ。サスペンションは上下にAアームを配するダブルウィッシュボーン形式で、リアにはダンパー&スプリングのユニットがダブルで与えられた。クライスラーがデザインしたとされるインテリアは、そのメーターナセルの高さが前方の視界を狭める理由となり、一部のカスタマーには不満だったようだが、これは1993年モデルの途中でより低いデザインのものに改められた。
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