『デイズ・オブ・サンダー』原案:トム・クルーズ、轟音とボルテージに満ちたカーレース超大作
サーキットにみなぎる破格のボルテージ
本作の見どころは無数にある。まずはなんといっても会場にみなぎる凄まじい熱気。レース開催日の朝、1日の始まりをハンス・ジマーの音楽が荘厳に奏で、日の出と共に会場付近には早くも人が集まり出す。やがて日は昇り、駐車場や観客席は着々と埋まり、会場を覆う興奮のボルテージは爆発的に高まり、その沸点というべきところで、エンジンの爆音へと切り変わっていくーー。レース場の鼓動や息遣いを表現するような、かくなる象徴的なシーンの創造は、まさにトニー・スコットの真骨頂。 いざ迫真のレースが始まると、会場を埋め尽くす大観衆の歓声、マシン同士の熱戦と激突が相まって興奮が止まらない。これぞ、後のCG時代とは根本的に異なる”実写主義”の良さ。タイヤの焦げた匂いや、レーサーたちの汗の匂いさえ漂ってきそうな、生々しい臨場感がここにはある。 とはいえ、これをどう撮るか、いかにストーリーを織りなすかに関しては難題続きだったよう。当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだったドン&ブラッカイマー、ヒット作の連発で自信みなぎるトニー・スコット、そして怖いもの知らず&疑問を感じたらすぐ口にするトム・クルーズ、彼の要請で現場でも執筆を続けた脚本家ロバート・タウン、その誰もが意見を主張し合い、紛糾の絶えない現場だったと言われる。
繰り返される「父の不在」の物語
公開時、ひときわ多く指摘されたのが、本作のストーリーが『トップガン』と極めてよく似ている点だ。 我の強い主人公がレースの世界に入り込み、その自己中心的な性格ゆえに周囲を苛立たせつつ、ライバル(『ガーディアン・オブ・ギャラクシー』ヨンドゥ役でお馴染みのマイケル・ルーカーが妙演)としのぎを削り、やがて自らの才能を大きく羽ばたかせていくーー。なるほど、基本的な骨格は全く同じと言っていい。 さらに「父親の不在」というテーマも共通している。『トップガン』では死んだ父親の背中を追うようにしてエース・パイロットを目指す主人公の生き様が刻まれ、対する『デイズ・オブ・サンダー』では、共にチームを組んでいた父の犯罪行為により人生の挫折を味わった主人公の過去が明かされる。 天賦の才能はあるが、実績はない。しかし弱みは絶対に見せたくない。かくも強がってばかりいる己の仮面を外し、弱音や本音を素直に打ち明けられる相手となるのが、チームを率いるロバート・デュバルだ。彼との間にはまるで擬似父子を思わせる関係性が築かれていく。 なぜ『トップガン』と『デイズ・オブ・サンダー』は似ているのか。もちろんそこには、『トップガン2』のような意気込みで作られたという暗黙上の背景があるのだろうが、それ以上に注目すべきは、やはりストーリーテラーとしてのトムの内面である。意識的であれ、無意識であれ、やはり繰り返されることには何らかの意味があると考えるのが筋だ。 その点でいうとトムは、両親の離婚後、長らく連絡をとることさえなかった父親の死を1984年に経験している。「誰も描かなかったトム・クルーズ」という書籍によると、父が亡くなる前に一度、二人は「過去のことを掘り起こさない」という条件付きで再会を果たしたことがあったとか。きっとこの時期、トムの中では様々な記憶や感情が呼び覚まされたことだろう。ちなみに『トップガン』は父の死の翌年に撮影された作品だ。 一方の『デイズ・オブ・サンダー』は、相変わらず映画本編に父親役が登場することはないが(エピソードとして語られるのみ)、『トップガン』に比べると、父親の影響からいかに解き放たれていくかという点で、少しだけ主人公の成長や物語の進展が見て取れる。これは実父の死から数年の歳月を経て、トムの中でそれなりの変化が生じた証なのかもしれない。