《記者コラム》 なぜブラジルにはバレンタインデーがないのか=知る人ぞ知る意外な理由
軍事クーデターで罷免されたドリア元知事の父
ドリア元聖州知事の父親ジョアン・アグリピノ・ダ・コスタ・ドリア・ネト氏(1919―2000年)は、ブラジル広告業界の先駆者だけでなく、弁護士、連邦議員でもあり、目立つ存在だった。 軍部がクーデターを起こした1964年4月1日の直後、9日に発布した制度法第1号(AI1)によって政治的権力をはく奪された102人のうちの、連邦議員41人の一人が彼だった。 この第1号は軍事クーデター政権の存在を正当化する法律で、これをもって軍政は始まり、第17号までだされた。制度法はクーデターに反対する勢力を排除し、大統領に権限を集中させることを法的に正当化するものだった。 そのうちの1968年12月13日に施行された第5号(AI5)が最も厳しい内容だった。この結果、軍を批判する連邦議員の権限が失われ、軍や警察は拷問してもよいとする法的な根拠を提供した。
本紙2月10日付《連警がPL本部から戒厳令原案=閣僚会議動画に問題発言=テメル元大統領「国には平静が必要」》(3)などで報じている〝戒厳令原案〟と言っている法案は、この制度法に似たものと推測される。 クーデター直後に施行してそれを正当化する法案であり、それゆえ1964年の軍事クーデターで弾圧されたトラウマが残る左派現政権にとっては特にデリケートな部分だ。 ブラジル憲法にある「例外状態(estado de sítio」は戒厳令の一種で、国家的な緊急事態の際に大統領が立法と司法の権限を一時的に停止できる。国家の存亡に関わる戦争などの場合、政府の迅速な行動が必須の時に運用される。 憲法第137条などにその概要があるが、実際に「例外状態」においてどのように大統領が統治するのかを示す法的根拠の「法案」として検討していたとみられる。
軍事政権に反発してにらまれた田村幸重下議
ちなみに、この制度法AI5は日系社会にも関係がある。同法によって罷免された連邦議員リスト(4)には、日系人初の連邦議員の田村幸重氏(1915―2011年、2世)の名前があるからだ。 田村氏は1910年に高知県から移住した田村ヨシノリ、チヨ夫妻のもとに1915年1月2日、サンパウロ市リベルダーデ区で生まれた。幼少時は家庭が貧しく、母が作ったパステルを父とともにセー広場で売っていた。1948年に聖市議として政治経歴のスタートを切り、51年から4年間州議員をした後、日系人初の下院連邦議員への当選を果たした。71年までの16年間、4期に及ぶ任期についた。 だが、軍部が独裁化を推し進めるさなかの1968年、軍政を批判する国会演説を行ったマルシオ・モレイラ・アルヴェス連邦議員に協力したとして、最後の任期半ばで罷免された。その後、サンパウロ市議に返り咲いたことは、その人望がいかに厚かったかの証明だ。