《記者コラム》 なぜブラジルにはバレンタインデーがないのか=知る人ぞ知る意外な理由
商業的成功を得ていた「母の日」をマネて
ちなみに「母の日」もはっきりとした起源はないという。20世紀初頭に乳児死亡率と闘う活動家アン・ジャービスを顕彰して米国で始まった。 ブラジル最初の母の日はリオ・グランデ・ド・スル州ポルトアレグレで、キリスト教青年協会の主導により1918年年5月12日に開催された。5月はイエスの母マリアの月ということもあり、広まりやすかった。徐々に普及して1932年にヴァルガス独裁政権は法令で5月第2日曜日を正式に定めた。 この母の日の公式化には、女性からの支持を増やしたいという政治戦略も関係していた。選挙法制定により1932年に女性が選挙権を獲得し、政府が女性や母親の役割を強調しようとしていた流れで制定された。 それが徐々に定着して終戦直後には母親への賛辞が商業的な側面を帯びるようになり、クリスマスに次ぐ重要なプレゼント商戦に成長した。それを横目で見ていたジョアン・ドリア氏が「恋人の日」の発想を得た訳だ。
カーニバルと被るよりも6月に別行事として
と同時に、世界はバレンダインデーだった先週14日は、カトリック的には「Cinza(灰の水曜日)」でもあった。この日は、カーニバルが終わった後、カトリック教徒は復活祭(パスコア、英語ではイースター)に備えて、悔い改めに専念する期間である「四旬節」開始を意味する。この期間中、カトリック教徒は肉の摂取を制限され、他の食べ物、飲み物、その他の活動も制限される習慣がある。 カーニバルの日付は毎年変わるが、復活祭から数えて47日前がカーニバルとなるので、だいたい2月中だ。春分の日は3月20日か21日のいずれかで、そのあとの満月の日のあとに来る日曜日が「復活祭」の日となり、そこから逆算するので2月中頃が多い。 ローマ帝国への反逆罪によって処刑されたイエス・キリストは、処刑される前に「3日後に復活する」と予言し、実際に復活したとされており、その奇跡を祝う日が「復活祭」だ。復活祭のお祝いはイエスの十字架磔と死を記念する聖金曜日に始まり、イエスが復活して弟子たちの前に現れた日を祝う復活祭の日曜日に終わる。 つまり、カーニバルは時期的にバレンタインデーとほぼ重なる。カーニバルでは4日間から1週間程度も大騒ぎをして大出費をする習慣が元々ある。さらに、その直後には「悔い改める期間開始」という、恋人とのプレゼント交換という華やかなイベントとはそぐわない時期が始まる。 だから、世界最大のカトリック人口を抱えるブラジルの場合、カーニバルに「恋人の日」が被ってしまうと商業界としてはメリットが少ない。それなら売り上げが少ない6月に移した方が、商業界的には都合が良い。