Jリーグに植え付けた「世界基準」、ブラジル代表主将・ドゥンガが残したもの…福西崇史さん「めちゃくちゃ怒られた」
サッカー元日本代表で、J1・ジュビロ磐田などで活躍したサッカー解説者の福西崇史さんが、読売新聞ポッドキャスト「ピッチサイド 日本サッカーここだけの話」に出演。元ブラジル代表で「鬼軍曹」の愛称で親しまれたドゥンガさんとの「師弟関係」について語り、1990年代後半から2000年代前半のジュビロ「黄金期」を振り返った。 【音声】「ドゥンガとの出会いがなかったら俺はここにいない」 鬼軍曹との師弟関係
ゴン、藤田、名波、スキラッチ…
ジュビロはJリーグが10チームで開幕した翌年の1994年、ベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)とともにJリーグに加わった。福西さんがジュビロに入団したのは、さらに翌年の95年だった。
「すごい人たちばかりいるっていうのが印象。そもそもプロにいけるか・いけないかの人が、プロにいけた時点ですごいと思っているわけ。中山(雅史)さんを筆頭にそうそうたるメンバーがいる。テレビで見ていたような人が」
福西さんが入団した当時は、中山さん以外にも、藤田俊哉さん、W杯イタリア大会で得点王を獲得したスキラッチさん(今年9月に死去)、オランダ・アヤックスなどで活躍したファネンブルグさんなどが在籍。福西さんの同期には名波浩さん(現・日本代表コーチ)、さらに後輩として高原直泰さんらが入団してくる。
FWからボランチにコンバート
入団から半年、守備的MF・ボランチへのコンバートと引き換えにトップチームに昇格。高卒ルーキーが入団半年でトップチームに上がるのはまれで、「驚くくらい早かった。(FWだったから)守備したことはないけど、『やりますっ』って。でも、トップの練習についていけなくて。基本技術に差がありすぎて、度肝を抜かれるくらいショックで。そこから寝られない日々」
「ファネンブルグ、俊哉さん、名波さんたちのボール回しの練習に俺も入るわけ。ボールが取れない」
タレントが豊富なジュビロMF陣の練習に加わることで、必然的に守備力が鍛えられていった。
「練習が終わって部屋に帰って倒れて寝る。すげー参ったな、あの時は」
だが、オフト監督はなぜ福西さんをFWからボランチにコンバートさせたのか。