「ざまあみろ!」宇垣美里が“わきまえない”新プリンセスを生んだアカデミー賞受賞作に大拍手する理由
女性はペットやお人形さんじゃない!所有物扱いする男たちへの皮肉
肉体や見た目はほとんど変わらないのに、幼児から大人の女性へと凄まじいスピードで成長していく過程を見事に表現したエマ・ストーンの演技はただただ圧巻。 何より思い出すだけで笑えてくるのは、常識などといった固定概念から自由なベラが、思いのままに突き進み、彼女を守るべき所有物であるかのように振舞う男たちを蹴散らす様だ。 特に己の大人の魅力でベラを手懐(てなず)けられると信じきっていたダンカンが、やがて彼女のあくなき知的好奇心と自立心によって振り回され、ついにはみっともなく縋(すが)る哀れで滑稽(こっけい)な様子といったら! “男らしさ”への皮肉たっぷりで胸がすくような思いがした。こちとらペットやお人形さんじゃないんでね。
本を奪って捨てる男/本を次々と差し出す老婦人
もうひとつ忘れられないのが、ベラが船旅で出会う老婦人・マーサとのやり取りだ。 まだ幼いベラの不躾(ぶしつけ)な質問に対しユーモアを交えて答え、読書という新しい道を彼女に示すマーサ。ベラの成長が許せず、彼女の本を奪い海に捨てるダンカンを尻目に、そんな彼をあしらうかのようにすかさず次々と自分の持っていた本をベラに差し出す。 学ばんとする意思は決して奪えないことを、諦めなければどこまでだって世界を広げていけることを知っている人の佇(たたず)まいで、まさにこの作品を象徴するようなシーンに胸がいっぱいになった。
私も“女性らしさ”の名の元に阻まれてきた道があった
ベラはその眼で世界を知り、やがて世界の不完全さに絶望を覚えながらも、決して本を手放さず、学び続けることを止めない。必要とあらばその身で日銭を稼ぎ、女性と連帯しながら自分らしさを掴(つか)んでいく。 私の身体はどの部位だって余すことなく私のものでしかないのだ、と力強く宣言するその振舞いがあまりに清々しく、思わずうっとりとしてしまったのは、私もまた幾度となく“女性らしさ”の名の元に阻(はば)まれてきた道があったから。
不条理、不平等、でも諦めたくなんかない
ベラの生きる世界と同じく私たちの生きる世界も不条理で不平等だ。依然として続く戦争、哲学や宗教の意義を見失ってしまうような虐殺、搾取や差別を前に世界に絶望し、何もできない己の無力さに打ちひしがれてしまう日もある。 それでも、私だって本を奪われ捨てられた同志には何度だって別の本を手渡し続けたいし、学ぶことを、知ることを、世界をより良い場所にすることを諦めたくなんかない。