【里山奇譚】ほんの「登山の挨拶」がまさか!憑依のきっかけに!? 林道脇の池・白襦袢の女性「悲しすぎる慟哭」体験レポ
■毎日現れる女性
散々悩んだ末、翌日も筆者は鬼ヶ谷林道を通って帰宅。消えたのだから、人や動物のように襲ってくることもないだろうという判断だ。恐る恐る暗くなった林道を抜け登山口に着くと、昨日と同じ女性がまた立っていた。当然怖かったのだが、もし人だったらそれはそれで大変である。筆者は登山部の教えにならい、「こんばんは」と声をかけてみた。すると女性は再び消えた。 その翌日も、そのまた翌日も女性は立っていた。そうすると不思議なもので、だんだん恐怖を感じなくなってしまう。筆者は毎晩、登山口に立つ女性に「こんばんは」と挨拶をするのが習慣となった。 季節は秋から冬になり、この頃になると女性は2日に1回、3日に1回と、現れる頻度が徐々に減少。そしてとうとう現れなくなった。 ある日の帰宅途中、鬼ヶ谷林道で久しぶりに女性が立っていた。もう現れないと思っていた筆者は、「最近あまり現れなくなったけどどうしたのか」と声をかけた。すると女性は無表情な顔を筆者に向け、無言。その時である。 女性からひどく悲しい気持ちが、一気に流れてくるような感覚に陥った。なぜか涙が止まらない。理屈では説明できないのだが、女性の悲しい気持ち、つらい気持ち、その他よくわからない気持ちが一気に押し寄せてきた。泣きすぎてしゃっくりまで出始めた。はたから見れば正気を失っているように見えるだろうが、体が勝手にそうなるのだから仕方ない。 女性が消えた後、筆者はしゃっくりが止まらないまま帰宅。その日以来、登山口の女性は二度と現れることはなかった。
■山の挨拶について考えさせられた
女性が現れなくなってから1年ちょっと過ぎた頃、近所のおじさんと釣りに出かけた時のことである。おじさんが「毎晩鬼ヶ谷林道を通ってるみたいだけど、何も見ないのか?」と聞いてきた。 筆者は変人扱いされるのが嫌で、登山口の女性のことは誰にも話していない。そこで「何も見ないけど、鬼ヶ谷林道って何かあるの?」と聞いてみた。するとおじさんが言うには、5年前、40代の女性が自らの意思で登山口の駐車スペースから車ごと鬼ヶ谷池に飛び込み、帰らぬ人となったとのことだ。おじさんは消防団に入っていたので、現場に駆けつけたらしい。 詳しくは教えてもらえなかったが、女性の特徴を聞くと、筆者が毎晩出会った女性の特徴とほぼ一致した。なぜ襦袢だったのかはわからなかったが、年齢も暗い林道では誤差の範囲であった。 近所のおじさんや消防団の人たちが言うには、今回の女性のような目的で山を訪れる人も少なくないらしい。しかし、山での挨拶は会話のきっかけにもなり、不幸な事故の抑止にもなるという。 挨拶した時、相手の様子がおかしいと感じることがあれば、話しかけて雑談をしてみるのもよいかもしれない。この出来事以来、筆者は山での挨拶が自然にできるようになった。こうした体験からも、山で出会った人には挨拶をしたほうがよいと筆者は思っている。 野口 宣存(のぐち のぶまさ) 中国貿易や民泊業の経営などをしていたが、コロナを機にライター業へ転身。里山歩きやオフロードバイクでの林道旅、山水で淹れる珈琲が大好き。 北摂を中心に丹波、但馬、播磨、丹後、京都、近江、若狭が主な活動範囲。釣り歴も相当長いのだが、釣りだけは一向に上達しない。
野口 宣存