何度も愛し合った「不倫相手のアソコ」をなぜ切断したのか…下町のお嬢様が「伝説の娼婦・阿部定」になった理由(1936年の事件)
事件を起こすきっかけは…
その後、富山、長野県飯田、大阪飛田、兵庫県丹波篠山、神戸、名古屋と流れながら、15年にわたって体を売った。彼女の転機となったのは1935年名古屋で学校の校長を勤める人物と出会いだった。真っ当な道を歩むように言われ、のちに男性器を切断し殺害することになる石田吉蔵が経営する料亭で働くことになるのである。淫売の道を離れたことが事件を起こすきっかけとなってしまった。 事件を起こすまでに阿部定が歩いた道を辿って、私は旅をしてみることにした。長野県の飯田市、かつて阿部定が芸者として身を置いていた三河家は蕎麦屋になっているのだが、創業者の一族は変わらず、4代目となる店主の妻は先代の女将から聞いたエピソードを私に話してくれた。 「ずいぶんと粋な人だったと聞いてますよ。食事は賄いが出たんですけど、わざわざ外に洋食を食べに行ったり、ビリヤードをやってから、銭湯に行くのが日課だったようですね。それと、とてもプライドが高かったようで、お客さんから誰でもいいからなんて言われたら、絶対に行かなかったようです。うちでは静香という源氏名だったので、静香さんという指名が無ければ、動かなかったって聞いています。それと気前の良い人で、着物の帯にお金を入れていて、たまにお小遣いなんて言ってお金をくれたり、時計ももらったみたいですよ。時計は取っておけばよかったんですけど、ないんですよ」 当時の飯田は生糸や材木の商いで賑やかな街だったという。当時の地図を見ると、ビリヤード屋が2軒あり、三河家と通りを挟んで目の前には、阿部定が通った精養軒という洋食屋があった。今では街は寂れてしまったが、飯田が華やかな時代に阿部定はここにいた。 「普通のお婆さんだったよ」不倫相手のアソコを切断したのち彼女は…「伝説の娼婦・阿部定」の“その後の人生”(1936年の事件) へ続く
八木澤 高明,高木 瑞穂/Webオリジナル(外部転載)
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