羽生はなぜNHK杯出場にこだわったか。
NHKで3位以内に入れば、自力でGPファイナル切符を獲得できる。ソチ五輪金メダリストとしての責任感と日本男子初となるGPファイナル連覇への意欲が大きいのは間違いないが、羽生にはおそらくもう一つ上の、トップアスリートだからこその哲学がある。 日本人として初めてフィギュアスケート界に金メダルをもたらしたソチ五輪。最高の栄誉を手にした19歳は、喜びを100%爆発させるには至らなかった。ショートプログラムでは史上初の100点超えを記録したが、首位で迎えたフリープログラムではミスを連発し、「フリーの演技ではオリンピックの本当の怖さ、オリンピックの魔物というものを感じた。金メダルを勝ち取ることはできたが、自分の能力、自分の実力を大きな舞台で発揮できなかった」と悔しさを隠さなかった。 五輪後は、「フィギュアは自分自身との戦い。どれくらい精いっぱいのことができるか、全力を出し切れるかというのが一番大事だ。自分のスケートをもっと高みに持っていきたい」という思いを口にした。さまざまなアクシデントを乗り切ることでこそ本当の強さをつかむことができるというアスリートの本能が羽生にはあるのではないか。 会見では、オーストラリアのシドニーで行われたクリケットの試合中に、ボールがヘルメット下の首の部分に当たって緊急搬送された選手が27日に死亡したという衝撃的なニュースを引き合いに、スポーツとケガのリスクについて見解を求められる場面もあった。 羽生は、「そのニュースは知らなかった」と言って慎重に言葉を選びながら、「スポーツでは自分の限界に挑んでいる。ある意味では死と隣り合わせだ」と持論を展開。自身が閻涵選手と衝突したときの状況については、「あのケースでは当たり所が良かった。振り向いた瞬間にぶつかったので、何とか僕たちは顔をそらすことができたし、僕に関しては腕を出すことができたので、何とか衝撃を避けることができた。でも、(衝突が)1秒でも前後していたら僕はいなくなっていたかもしれない。ここにいることが奇跡に近い」と神妙な面持ちで話した。 NHK杯出場にこだわること、GPファイナル出場にこだわること。そこには羽生の理想や人生観も隠されているのだろう。 (文責・矢内由美子/スポーツライター)