甲子園への道は決して平坦ではないが、目の前のプレーに集中し、全力を尽くせ! 今でも忘れられない浪商高時代の思い出【張本勲の喝!!】
覚悟を決めて浪商高へ
浪商高時代の筆者[後列右から5人目]
すでに始まっているところもあるが、この時期は高校野球の夏の甲子園、地区大会がスタートするころだと思う。言うまでもなく、高校球児にとって甲子園はあこがれの大舞台だ。一人でも多くの選手に甲子園の土を踏んでもらいたいし、そこで思いきりプレーしてもらいたいと願っている。特に3年生は最後の夏。自分の力をすべて出しきり、悔いのない戦いをしてほしい。 私もかつては甲子園を目指した高校球児だった。その夢を叶えることはできなかったし、最後は不本意な結末に終わってしまったが、それを含め、今回は甲子園を夢見た私の高校時代の話をしよう。 私の地元は広島だ。甲子園に出てプロ野球選手になるというのが私の目標だったから、高校進学は地元の強豪校、広島商高か広陵高しかないと考えていた。しかし結論から言えば私はどちらにも入れず、松本商高(現瀬戸内高)の夜間部に進学することになった。しかも条件付きで、おとなしくしていれば昼間部に移すという約束だった。 1年夏の県大会は初戦で敗退した。甲子園など夢のまた夢。途方に暮れていたある日のこと、近くの理髪店に入って順番を待っていると、そこに『アサヒグラフ』という雑誌が置いてあった。何気なく手にして見ると、平安高(京都、現龍谷大平安高)、浪商高(大阪、現大体大浪商高)の写真が大きく載っていた。確か『常勝! 平安と浪商』という見出しだった。ページをめくりながら手が震え・・・
本文:2,462文字
購入後に全文お読みいただけます。
すでに購入済みの方はログインしてください。
週刊ベースボール