世界各国で活躍する日本のビジネスパーソン〈3〉=アメリカ編=徹底的に顧客の悩みに寄り添う=ゼロから立ち上げて90億円企業に=b.glen創業社長=児玉 朗さん
ーネットと出会い、ビジネスにするべく試行を重ねましたが、IT業界の展開のスピードの速さについていけず挫折しました。また、2000年頃、「次はバイオの時代だ」という言葉を信じてバイオビジネスにトライしたこともあります。 紆余曲折を経て「b.glen」を始めることになったのは、03年にブライアン・C・ケラー博士と出会ったことがきっかけでした。当時、彼は「ドラッグデリバリーシステム」という浸透テクノロジー(皮膚から製剤を浸透させる技術)で薬剤の開発をしていたのですが、その後しばらくして彼から連絡がきて、これを使ってビタミンセラムを作ったというのです。彼と会って話を聞いて「これは大きなビジネスになる」と直感した僕が、自分に販売を任せてくれるよう頼んだのがb.glenのスタートです。そして、04年くらいから日本でこのビタミンセラムの販売を始め、日米を頻繁に行き来するようになりました。 ―「b.glen」どのようにして大きく成長したのでしょうか? 「b.glen」は、「女性の肌の悩みを解決するソリューションプロバイダー(解決策提供者)」として主に日本で成長していったのですが、そのきっかけは事業を始めてすぐ、当時7歳だった息子がてんかん発作を起こすようになったこと。入退院を繰り返す息子と過ごす中、「この子がいると僕は日本に出張に行けない。アメリカにいながら日本でビジネスができる体制にしなくては」という思いでEコマースを始めたんです。 最初は「mixi」(趣味、興味をユーザー同士でシェアするSNS)でのコミュニティー作りから始めました。女性がどのような肌の悩みを持っているかを知らなくては、それを解決するソリューションの開発も、売ることもできないと考えたからです。 「セレブの美肌法」というコミュニティーを作ると、すぐに多くの女性たちが悩みを共有してくれるようになりました。そして、それに対する解決法を調べて回答するということを続けるうちに、僕は美容のカリスマ的存在になっていったんです。 そして、「mixi」でつながった女性たちに自社製品を薦めると同時に、女性のさまざまな肌の悩みを商品に落とし込んでラインナップを増やしていくことで、多くの方に喜んでいただけるブランドへと成長していきました。あわせて検索エンジンと連動した広告に予算を割き、ECサイトに多くのお客さまを誘導することで、売上を上げていきました。 ちなみに、「b.glen」は、世界各地のカスタマーサービスを24時間365日稼働させています。これは「いつでもあなたのそばにいる」というメッセージで、早朝でも深夜でも世界中どこにいても、スキンケアに悩む女性に寄り添っています。 ―約20年の間、苦労や挫折はなかったのでしょうか。 2019年、売上が90億円に達して「さぁ、100億行くぞ!」となった頃、売上が止まる感覚がありました。そこで香港、中国、シンガポール、フランス、そして台湾など、海外進出に次々とトライしましたが、シンガポールとフランスは3年で撤退。特にフランスは、最後まで現地の女性の肌の悩みをつかめませんでした。今は中国、台湾、香港、日本とアメリカの5拠点で、美容医療の領域を拡大しています。 この時代に本社を米国に置いていることは、人件費負担が増え、厳しい面もあります。ただ私には、20年以上一緒に働いてくれている家族のような社員がたくさんいます。自分は長男で、やはりみんなを引っ張っていきたいという「お兄ちゃん気質」があるようで、円安は厳しいですが「こんな時もあるよね」という気持ちでいます。 ―人生のターニングポイントを挙げるとしたら? 何か大きな外的要因があったというよりは、人生が好転する時にはいつも大事な「出会い」がありました。「b.glen」も、ケラー博士との出会いがきっかけで始まりましたが、その前にもインターネットとの出会いやバイオとの出会い、ピンチの時にたびたび訪れる出会いに助けられてきました。それらは偶然の出会いではありましたが、そういう出会いというのは自分自身のエネルギーレベルが高い時に訪れるという感覚があります。 自分の熱量が高いと、人を引きつけやすくなり、意味のある出会いが増えるということなのかもしれません。自分は常にエネルギーを高めていたいと思いますし、極論ですが中身がなくともテンションが高いだけで「何かやってくれそう」と興味を持ってもらえることすらあり、それでよいと思っています。