世界各国で活躍する日本のビジネスパーソン〈3〉=アメリカ編=徹底的に顧客の悩みに寄り添う=ゼロから立ち上げて90億円企業に=b.glen創業社長=児玉 朗さん
この連載は世界の日系メディアと協力し、各国で活躍する経営者などにインタビューしてお互いに掲載する連載企画。1月はブラジル編、2月はオーストラリア編、3月はアメリカ編、4月はカナダ編の予定。各地で活躍する日本人の今の姿をお届けする(編集部)。 こだま・あきら◎東京都出身。大学生の頃からアメリカ生活を夢見て、卒業後は駐在のチャンスを求めてキヤノン販売に就職。1989年に念願叶い駐在員としてニューヨークに赴任する。3年後にはカリフォルニアへ転勤となり、社会人の傍ら自身のビジネスを始める。輸出入やバイオビジネスを経て、2005年に女性の肌の悩みを解決するスキンケアブランド「b.glen」を創業。以来、海外展開やサロン開設、美容医療領域の拡大など精力的に活動している。 同社サイト(https://www.bglen.us/)。
【取材・ライトハウス】独自の「浸透テクノロジー」で女性の肌の悩みを解決する、カリフォルニアはオレンジ・カウンティー発のスキンケアブランド「b.glen」。2005年に同社を創業して、年商90億円企業にまで成長させた創業社長、児玉朗さんに、成功に至るまでのストーリーと今後の活動について伺いました。 ―アメリカに移住された経緯は? 大学時代に行った友人との旅行がきっかけでアメリカが好きになり、「留学でも旅行でもなく、ここで生活をしてみたい」と思うようになりました。帰国後、「アメリカに移住するなら日本の大学を卒業し、駐在員として渡米するのが最良の道」という父のアドバイスもあり、その可能性のあったキヤノン販売(※現キヤノンマーケティングジャパン)に就職。そこでの営業成績が認められ、入社3年目に駐在員としてニューヨークに赴任したのが私のアメリカ生活の始まりです。 コピー機の営業が任務で、当時110階建てのワールドトレードセンタービルを訪れ、上から下まで全フロアのドアをノックして降りるという、いわゆる飛び込み営業をしていました。英語はほとんど話せませんでしたが、当時の日本経済が好調だったこともあり、日本製のコピー機は「営業すれば売れる」ような状況。「英語もできないのに結果は出す」とヒーローのように扱われ、ニューヨーク生活はまさにバラ色でした。 ―カリフォルニアに移住されたのはなぜですか? 転勤辞令です。カリフォルニアに移ってからは一転して人間関係がうまくいかず、仕事の結果も出ず、次第に虚無感を感じるように。でもそのおかげで「自分はセールスマンになるためにアメリカに来たのではない」と気付き、自身のビジネスを始めようと思い立ちました。最初は会社勤めを続けながら、輸出入のビジネスを始めました。 会社員としての収入があるので、新ビジネスの利益はそのまま残り、数年で1億円を貯められました。それが次のビジネスの資金となり、いくつか事業を手がけました。90年代にはインタ