『海に眠るダイヤモンド』なぜ端島? 監修・黒沢永紀氏が魅入られた理由
取材中「端島が歩んできた歴史は、“未来の記憶”ではないかとよく思います」とふと口にした黒沢氏。これからの日本が体験するかもしれない未来を端島はすでに経験したのだという。 端島には都市機能が凝縮されており何でも揃っているが、島に水源や牧場、畑、田んぼがあるわけではなく、インフラや食料は島外のリソース頼り。そんな外部供給ありきの生活は、東京、ひいては大都市の構造に近いといえる。「水道やガス、そして電気などすべてのライフラインが外部供給。これらがストップしたら、まったく生活ができなくなります。そういう意味では、約100年前に同じことを未来都市として経験していたのが端島なんです」。 端島炭鉱は資源が枯渇して閉山したわけではない。安全かつ利潤を生み出す採炭ができなくなっただけなのだ。「まだまだ採掘できる石炭はありましたが、当時の技術開発状況や費用対効果など、さまざまな要因が重なり閉山が決まりました。悪く言えば、見捨てられたのかもしれません。でも、東京だって価値がなくなったら見捨てられて、都市機能が別のところへ移る可能性があります。人間ならそういう発想もしかねないでしょう。だからこそ、現代に生きる私たちが端島から学ぶことはたくさんあるんです」と、黒沢氏は端島と東京を重ね合わせる。 端島炭鉱はダイナミックな産業革命の時代を牽引してきたが、島民は日々懸命に生活していただけで、こうした未来につながるとは思ってもいなかっただろう。でも彼らが過ごした日々や思いは、さまざまなかたちで着実に今につながっている。「コントラストの強い近代化の光と影を色濃く反映する端島を通して、今の時代がどうやってできあがったのかを知るきっかけになれば」と黒沢氏は伝道師活動への思いを明かし、力強くこう続ける。 「どれだけ素敵なドラマでも、いつの間にかタイトルを忘れてしまっていることってありますよね。でも本作はその一線を越えて、皆さんの記憶に一生残るような作品になるのではないか。そうなってくれたらうれしいなと思っています」。 不思議な魅力が詰まった端島は今日も多くの人々を魅了している。その理由は、おそらく今でもそこにしかと眠る当時の人々の営みや切なくも温かい思い出にある。そんな端島の人々の激動の人生は、劇中の現代に生きるホスト・玲央だけではなく、視聴者の人生をも変えるきっかけになるかもしれない。