元鳥取県知事の片山善博氏 部長時代に気付いた男女格差の「からくり」とは
性別による「つくられた能力差」
――実際に男女のキャリアに差が付くのはどのタイミングだったんですか。 「最初はみんな平職員で一緒です。7~8年くらいたつと係長になり、10年くらいかけて課長になる。そこでもう差が出る。1つの課に4つ、5つの係がありますが、庶務は1つしかないんです。そうすると女性がなれる係長のポストは基本的に1つだけ。どうしても昇進が遅れるのと、男性の方がいろいろな係長を経験できるので、かなり差が付いてしまいます」 「例えば、男性は税務課に配属されると、滞納処分といって、預金の差し押さえに出向いて行くこともある。これはかなりきついわけです。道路事業だったら道路用地の買収で厳しい価格交渉にも当たる。企画部なら県の5カ年計画の立案。財政課は予算の査定。そういう仕事を男性がし、女性はそれぞれの課で男性職員が仕事しやすいように出勤簿の整理とか、出張の旅費精算とかをこなす。男性はバリバリ働いて、女性は裏方というような固定的な役割観念がありました」 「それで入庁から20年くらいたつと、女性本人も、仮に課長を打診されても『私にはとても務まりません』となってしまう。課長になれば議会答弁も予算折衝もあります。その時点で見ると、男女で能力差がある。男性のほうが管理職向きの仕事をしてきていることでできた『つくられた能力差』です。人事配置に性別で差を付けないことで、これを解消していくというのが基本的な考え方になります。庶務もロジスティクスを支える非常に重要な仕事です。男性も女性も、庶務もするし、庶務でない仕事もする。その上で人事評価をしましょうということにしました」
作戦は硬軟両様 「まったく苦にならなかった」
――人事配置の方針を変えてから、昇進に変化が出てくるまで数年単位。根気が必要な取り組みですね。 「それがまったく苦にはなりませんでした。初めからみんながみんな賛同してくれたわけではなく、無意識的、本能的に抵抗する人も多かった。けれど方向性は正しいから、すぐに県庁の中の人事配置すべてが男女平等にならなくても、少しずつ前進していくわけです。方針を変えてから3年たち、4年、5年と進むにつれて、だんだんいろんな経験を積んだ女性職員が増えて配置の可能性が広がっていく。だから人事担当部長としては楽しかった」 「具体的には2つの方法を組み合わせました。硬軟両様の作戦です。『軟』のほうは、各部の要となるような人に直接会って説得しました。必ずしも直ちに理解してもらえたわけではありませんでしたが、一番効いたのは、お嬢さんがいる人に、親としての思いに訴えることです。『お嬢さんが一生懸命勉強して社会に出て自己実現しようとしたときに、女だからお茶くみだけだと言われたら、どれだけ悲しみますか』と」 「よく聞くのは、自分が女性の立場だったらどう思うかという言い方。これもある程度は効き目はありますが、当然、本当に女性になれるわけではないので、あくまで理屈の上で分かっても納得はできていない。自分ごとになるような話をして、少しずつ賛同、共感を覚えてもらうように動きました」 ――硬軟両様の『硬』のほうは。 「県庁の人事異動は大量の職員を動かすので、総務部の人事課が担うのは、誰それは何課にというところまで。課の中の何係に配属するかは各課の課長の権限なのです。実は1年目は失敗しました。方針変更を伝えたのに、代わり映えのない人事配置となった。『うちの課はちょっと特別ですから』と屁理屈をこねて、女性には庶務以外の仕事は無理だと言う」 「そこで次の年は、人事課長と相談して、従来通りの配置案しかつくらない課長には、『これは直接総務部長に説明してください』と押し戻すことにしました。ほとんど誰も私のところには来なかったですよ。新しい案をつくって持ってきました」 ――私も説明するよりは変えるほうを選ぶような気がします。 「人事配置案を変えるのと、部長に文句を言いに行くのと、どちらが嫌だろうかと。一種の心理戦です。新入職員はもちろん、入庁後7、8年くらいの世代は性別で差を付けない配置が間に合いました。その時点ではまだすぐ女性の課長候補は出てきませんが、『学年進行』で徐々に増えていきました」