沖縄知事選がつきつける「民主主義」の意味
「多数決」型が成立する条件
これまでの日本では、イギリス政治を理想のモデルとして輸入しようという動きが強かった。1990年代には「政党本位・政策本位の選挙」を目指した政治改革や、「政治主導」を目指した橋本行革(中央省庁改革)が導入されたが、これらはいずれもイギリス政治をモデルとしたものである。確かにイギリスモデルには優れた面も少なくないが、上記のとおり、多数決型民主主義には欠点がある。多数派と少数派が固定されていると、「多数者による専制」をもたらしかねないのである。 日本は、他国に比べて相対的に階級的対立も民族的対立も厳しくないので、多数決型民主主義が機能する領域も多いだろう。しかし沖縄の問題に関してはどうだろうか。歴史的に、沖縄はいわば構造的な少数派の立場に置かれてきた。このことを考えたとき、沖縄への基地負担の集中を日本国民の「多数意思」として片付けることは果たして妥当だろうか。 「熟議」の観点も重要である。最終的には多数決で決めなくてはならないにしても、その前段階には、当事者たちの対話や熟議がなくてはならない。理性的な対話や丁寧な熟議を通じて、お互いの立場に近づく可能性もあるだろう。完全な合意には至らないにしても、少なくとも何が意見の相違をもたらしているかに気付かせてくれるだろう。同じ多数決でも、熟議を行う前と後ではその結果は異なってくるはずである。民主的決定とは対話や熟議の上に成り立つべきものなのである。(かつて民主党政権で討論型世論調査(DP)の試みがなされたことがあるが、民主党政権の瓦解とともにDPへの関心も薄れてしまった。DPは決して民主党の専売特許ではないので、残念なことだと思われる) もちろん、沖縄の基地問題は、安全保障戦略上の考慮が必要なので、国内政治だけで解決できるものではない。しかし、例えば同等の安全保障を維持しつつ沖縄の負担を軽減する手段はありえないのか、といった論点を、議論の俎上に載せることは可能なのではないか。外交や軍事の専門家も交えて、広範な検討を行うことができないだろうか。 このような意味で、沖縄県知事選の結果は、日本国民に民主主義への向き合い方を問うことになるだろう。私たちにとっての民主主義とは何か、あらためて考えてみたい。
-------------------------------------- ■内山融(うちやま・ゆう) 東京大学大学院総合文化研究科教授。専門は日本政治・比較政治。著書に、『小泉政権』(中公新書)、『現代日本の国家と市場』(東京大学出版会)など