沖縄知事選がつきつける「民主主義」の意味
多数決イコール民主主義なのか
今回の知事選について考える上では、そもそも民主主義とは何か、という問題に目を向けることも大事である。 政府は、埋め立て工事を再開するために法的措置を講ずる方針である。具体的には、翁長前知事が行った埋め立て承認撤回の効力を失わせるよう、裁判所に申し立てることなどが考えられる。もし裁判所が政府に有利な判断を下せば、工事再開は「法的」には正しいことになる。しかしそれは、「政治的」あるいは「民主的」に正しいかどうかとは別問題である。 果たして民主主義とは何か。しばしば、民主主義とは多数決による決定だといわれることがある。もし「民主主義」と「多数決」が同義なのであれば、例えば国政選挙で与党が勝利することなどを通じて、国民の大多数が沖縄に基地負担を集中させることを選んだとしたら、辺野古への基地移設は「民主主義の結果」ということになるだろう。 しかし実際のところ、民主主義と多数決は同義ではない。民主主義には多数決以外のものも含むのである。政治学者のレイプハルトによれば、民主主義には「多数決型」と「合意型」の2つのタイプがある(アレンド・レイプハルト『民主主義対民主主義』)。前者は多数決原理による決定を重視し、後者は合意追求を重視する。 多数決型の典型はイギリスである。その特徴は、議会での過半数によって構成される内閣に権力が集中していることである。すなわち、多数派は与党として強大な権力を与えられる一方、少数派は政権から除外され、野党となる。選挙制度としては小選挙区制が特徴である。小選挙区では単純多数によって一人だけが当選する。つまり、議会で決定する過程でも、選挙民が代表を選ぶ過程でも、多数決原理が当てはめられる。 一方、合意型の典型はスイスやベルギーである。特徴は、多党連立内閣によって権力が共有されていることである。ほとんどの主要政党が内閣に参加するということである。選挙制度は、議席が各党の得票に比例して分配される比例代表制である。このように、政治的決定でも選挙でも、少数派の権利と合意形成が尊重される。 多数決型が民主主義としてうまく機能するためには条件がある。それは、多数派と少数派が簡単に入れ替われることである。つまり政権交代である。浮動層や中間層が多ければ、それまで浮動層を引きつけていたことにより多数派を形成していた党派が、浮動層の鞍替えにより、あっという間に少数派に転ずる可能性がある。そうした国では、今日の多数派が明日の少数派に転ずるといったことが頻繁に起こり、構造的な抑圧は生まれにくい。 しかし、多数派と少数派が構造的に固定されていれば(たとえば、国内に民族的対立があり、多数派の民族が常に権力を持っていたとすれば)、多数決型の民主主義は少数派への抑圧となりかねない。いわゆる「多数者の専制」が生じてしまうのである。そうした国では、少数派の権利を擁護するために合意型の民主主義が取られていることが多い。