石田ゆり子は『虎に翼』でまさしく“聖母”だった 物語を牽引した“微笑み”の数々
「おだまんなさい! 何を偉そうに! そうやって女の可能性の芽を摘んできたのはどこの誰!? 男たちでしょ!」 【写真】床に臥す猪爪はる(石田ゆり子) 石田ゆり子演じる猪爪はるが、裁判官・桂場等一郎(松山ケンイチ)にタンカを切った時、全身に鳥肌が立った。これは物凄いドラマの誕生に立ち会ってしまっているのではないかと、震えた。そして、この物語をリアルタイムで観られるタイミングに生きていることに、感謝した。 猪爪はるは、今作『虎に翼』(NHK総合)の主人公・寅子(伊藤沙莉)の母である。「結婚し、良き妻、良き母となり、家庭を守るのが女性の幸せである」という価値観を寅子に押し付け、何度も何度もお見合いをセッティングする。この時代(昭和初期)なら当たり前の価値観なのだが、寅子はそうは思えない。常にやる気ゼロの態度でお見合いに臨むため、ことごとく失敗する。 第1話、第2話の放送を観る限り、当時の「女の幸せ」を捨てて法曹界を目指したい寅子と、あくまでそれに反対する母・はるの対立、そして、その両者の和解までが、いわゆる「第1部」だと思っていた。言わばはるは「最初に倒すべき敵」であり、はるVS寅子の何度とない対決を経て、ついに寅子ははるを倒す。その後はるは、寅子の一番の理解者となる。そう思っていた。 物語序盤の強敵・ライバルキャラが、対決を経て主人公の味方となる。少年漫画にはよくあるパターンであり、胸熱な展開である。だが今作の主人公・寅子は、最初のボスキャラであるはるを倒すことは出来なかった。はるは、娘が優秀であることに気づいている。だからこそ、「頭のいい女が確実に幸せになるためには、頭の悪い女のふりをするしかないの」との言葉を投げつける。寅子は、その考えにはまったく共感できないが、はるを言い負かすこともできない。 はるは、勝手に覚醒し、勝手に寅子の理解者になった。キッカケは、先述の桂場である。桂場が寅子に投げかけた、「女性が法曹界に進出するのは時期尚早である」「君のような甘やかされて育ったお嬢さんでは、逃げ出すのがオチだ」という言葉を盗み聞きし、激昂したのだ。そして、冒頭のセリフを吐く。 はる自身も、本心から「結婚だけが女の幸せ」とは思ってはいなかった。ただ、そう思い聞かせて生きてきただけだ。だから本当は、固定概念を打ち破ろうとする娘がうらやましく、応援したかったのだろう。お互い意地を張って素直になれなかったところに、桂場がズケズケと言ってくれたせいで(おかげで)、はるは本当の気持ちを吐き出すことができたのだ。 この、はるVS桂場から、寅子のお見合い用振袖を作る予定の呉服屋を通りすぎ、書店に飛び込み寅子に六法全書を買い与えるまでの勢い。そして、「(背を向けたまま)新しいこの昭和の時代に、自分の娘にはスンッとしてほしくない。(ここで振り向いて)そう思っちゃったのよ!」の際の舞台劇のような動き。「あなた本気で地獄を見る覚悟はあるの?」「ある!」「そう……」の時の、笑顔。 この一連のシークエンスが気持ち良すぎて、「名作誕生に立ち会ってしまっている……!」と感じた。それはやはり、石田ゆり子の力が大きい。「第1部のラスボス」然として登場しながら、桂場の発言に逆上して寅子の味方となり、そして最後の笑顔である。慈しみと喜びと悲しみと切なさと諦念が混じり合った、あの複雑な笑顔。あんな顔で笑える俳優が、一体どれだけいるのか。はる役が石田ゆり子でよかった。 「こうして最後の敵を倒した寅子は、無事、地獄へのキップを手にしたのでした」尾野真千子のナレーションが被さる。だが、この時点で第5話、まだ第1週である。普通のドラマなら、このエピソードにもっと尺を取ると思われる。だが、この件がこれだけ早く片付いたということは、本当の敵はこれからどんどん現れるであろう。そしてはるが言うように、これからが本当の地獄なのであろう。そのように予感させられ、事実寅子やその仲間たち(魔女5)は、次々と地獄に直面する。 寅子の味方となってからのはるは、表情も柔和になり、石田ゆり子本来のかわいらしさが垣間見えるようになった。そしてそのかわいらしさは、本来の猪爪はるの姿でもあるだろう。序盤のはるは、喜怒哀楽の「怒」成分多めだった。だが寅子の理解者となり、喜びや悲しみを全面に表すようになってからのはるは、魅力3倍増しだ。 共亜事件の疑惑が晴れた夫・直言(岡部たかし)が、逮捕前に約束していた映画に改めて誘ったシーン。張りつめていた糸が切れたように、彼女は泣く。直言にしがみついて、大声を上げて泣く。幼い子供のような、全力の号泣だ。結婚してから20年以上、常に「スンッ」として良妻賢母を演じてきた彼女である。夫に甘える時期もあまりなかっただろう。20数年ぶんの気持ちがこもった泣きだ。桂場にキレた時もそうなのだが、一見お上品な石田ゆり子が感情を爆発させた時こそ、彼女の魅力が最大限に発揮される。 司法浪人生の下宿人・優三(仲野太賀)が高等試験断念を告げた際、「よくここまで頑張りましたね」とねぎらう。その時の微笑みは、聖母のようだった。微笑んだ後、はるも涙を流す。優三はただの居候であり、血縁関係はない。そんな赤の他人の悲しみや悔しさに寄り添える彼女は、本当に聖母だ。後に寅子が、成り行きで戦災孤児・道男(和田庵)を家で預かることになる。スリや置き引きの常習犯で態度も悪い道男の突然の同居に、家族全員困惑顔だ。当然である。そんな中、はるだけが道男を家族として扱う。やはり聖母だ。 優三の戦病死をまだ受け入れられない寅子に、はるが「思い切りぜいたくをして来なさい」とお金を渡すシーンも、名場面だ。「これ以上心が折れて粉々になる前に、お願いだから立ち止まって、優三さんの死とゆっくり向き合いなさい」。その際に回想で挟み込まれる各々のぜいたくが、花江(森田望智)がお酒であるのに対し、はるはぼた餅であるところが興味深い。あの舌戦以来あまり仲の良くない桂場とも、実は仲良くなれるかもしれない。同じ甘党同士として。 朝ドラにおいては、しばしば主人公の両親の死がドラマチックに描かれる。物語上、そこがひとつの山場であることはわかる。だが、はるのいない猪爪家はどうしても想像ができない。寅子の想像の中で犬になるはる。花岡(岩田剛典)の婚約を聞かされて、無表情でよろめくはる。死の間際の夫の終わらない白状を聞いてる際の、なんかすっぱそうな顔(呆れ顔?)のはる。ライアン(沢村一樹)に「てっきり(寅子の)お姉さまかと」と言われて、照れ悶えるはる。たまに見られる彼女のさり気ないコメディエンヌな面を、楽しみにしている人間もいるだろう。どうか僕たちの朝の楽しみを、奪わないでもらいたい。
ハシマトシヒロ