大相撲の「公傷制度」と元小結龍虎の心意気
【ベテラン記者コラム】民放の地上波テレビ放送のゴールデンタイムから時代劇が消えて久しい。かわりに、早朝やBS放送での再放送で懐かしい番組を目にすることができる。大相撲の元人気力士が出演している「暴れん坊将軍」シリーズもその一つだ。 【写真】夏場所で優勝を決め、父・中村知幸さん、母・朋子さん、妹・葵さんと笑顔で記念写真におさまる大の里 力士からタレント、俳優に転身した先駆者の一人、元小結龍虎(故人、本名・鈴木忠清)さんが芸名も「龍虎」のままで出演している。町火消(まちびけし)の「め組」の一員として、仲間から「関取」と呼ばれ、粋な役回りを演じていた。 さきの大相撲夏場所では、新小結大の里が土俵を席巻。初土俵から所要7場所の史上最速で賜杯を抱いて土俵を盛り上げた。こちらが光なら、陰もあった。小結朝乃山が初日から休場。ともに初日に黒星を喫した横綱照ノ富士、大関貴景勝が始まったばかりの2日目から休場してしまう。さらに、大関霧島と関脇若元春がそろって7日目から途中休場に追い込まれた(若元春は11日目から再出場)。 いずれも負傷が理由とされたが、一時は三役以上9人のうち5人が不在となる異常事態。三役以上が5人休場するのは平成30年九州場所以来だった。 日本相撲協会・八角理事長(元横綱北勝海)は「けがは仕方がない部分もある。それだけ一生懸命、みんなが相撲を取っているということだろう」と見守り、芝田山親方(元横綱大乃国)は看板力士が15日間を全うできない状況を「土俵の上からいなくなってしまうのが一番の問題。陳列棚に商品がないお店と一緒だ」と嘆いた。 休場者が続出すると、判で押したように「公傷制度」の再考が頭をもたげてくる。今回もまた、場所中も場所後も何度も耳にした。公傷制度は、横綱以外の力士が本場所の取組でけがをして途中休場した場合、翌場所の番付は休場を負けと同じに扱って相応の地位に昇降させるが、翌場所も休んだ場合は、翌々場所の番付はそのまま留め置く救済措置のこと。昭和47年初場所~平成16年初場所で撤廃された制度だが、長く休みたいばかりに悪意を持って乱用する粗雑さが目立つようになった負の側面が表面化した。 昭和46年九州場所。西前頭3枚目だった龍虎が制度誕生に大きな影響を与えた。6日目の取組で左アキレス腱(けん)を断裂。長期休場を余儀なくされることになった。人気力士でもあったことから、制度を生む機運を高めたとされている。もっとも、自身は制度運用の恩恵にあずかることなく、4場所連続休場で西幕下42枚目まで番付を下げている。