福井VS長野 「越前そば」と「信州そば」の違いとは・・・?双方のそばを徹底比較
3月16日、北陸新幹線が福井県の敦賀駅まで延伸する。福井県の観光情報を集めていると、福井県の伝統食「越前おろしそば」を見つけた。大根おろし、ネギ、かつお節などを麺の上に置き、だしをぶっかけて食べるという。おいしそう…。しかし、信州そばこそが至高と思っている長野県民としては、そばは負けられない話題だ。北陸新幹線敦賀延伸に伴い、そばを求める首都圏の観光客が信州を素通りして福井に行ってしまっては大変だ。長野県と福井県のそばにどんな違いがあるのか調べてみた。(中島瑞穂) 【画像】福井の「越前おろしそば」
そばの歴史はとても長い
日本国内では、そばは縄文時代から食べられていた。今で言うそばがきのような食べ方だった。現在のような麺状で食べるようになったのは中世以降だ。まずは、長野県と福井県のそばの歴史を比較した。
長野県内では、奈良時代に修験道の行者が一握りのそばの実を置いていき、そこからそばの栽培が始まったという伝承が伊那市内に残る。また、大桑村の定勝寺には、1574(天正2)年に仏殿を修理した職人に「ソハキリ(そば切り)」を振る舞ったという文献が残っている。これは、そばを麺として食べた国内で最も古い記録という。
ただ、福井県におけるそばの歴史も奥深い。そばがき状のものは、戦国武将の朝倉氏が籠城用の食糧として使っていたという。麺のそばを食べた福井県内の最も古い記録は1601(慶長6)年。現在の越前市に当たる土地の領主としてやってきた本多氏が、京都からそば職人を連れてきたことで広がった。当時から大根おろしを添えて食べていたという。
そばに「越前」の名を冠するようになったのは昭和天皇がきっかけ。1947(昭和22)年、昭和天皇が福井県を訪れた際、宮内省の主厨長を長く務めて「天皇の料理番」と呼ばれた秋山徳蔵さん(越前市出身)がそばを振る舞った。昭和天皇はおかわりをするほど気に入り、東京に戻ってからも越前のそばを懐かしんだという。このエピソードが広がり、「越前」が付いたそばの呼び方が定着した。