百田光雄、父「力道山」命日に藤波辰爾と53年ぶり「リング上」感動再会「日本プロレスで対戦した時、以来…本当に久しぶり」…12・15新宿
◆COMBOプロレス「力道山 生誕100周年メモリアル大会」(15日、新宿FACE) COMBOプロレスは1963年に“日本プロレス界の父”力道山が39歳で急逝した命日を迎えた15日、新宿FACEで「力道山 生誕100周年メモリアル大会」を開催した。 力道山は、1924年11月14日、日本統治下の朝鮮で生まれた。1940年に大相撲の二所ノ関部屋に入門。関脇まで昇進したが50年に大相撲を引退しプロレスラーに転向。、52年に日本プロレス協会を設立。日本初の本格的プロレス興行となった54年2月19日に蔵前国技館で木村政彦とタッグを組んでシャープ兄弟と対戦し、前年にスタートしたテレビ放送と共に戦後復興の象徴となり国民的ヒーローとなった。ジャイアント馬場さん、アントニオ猪木さんら昭和プロレスの隆盛を支えた多くの弟子も育てたが、63年12月8日に赤坂のナイトクラブで暴力団員の男に刺され、1週間後の12月15日に都内の病院で39歳の若さで亡くなった。 今年は力道山の生誕100年のメモリアル。メインイベントで「力道山生誕100周年メモリアル」試合でプロレス界のレジェンド、藤波辰爾が長井満也、LEONAと組んで力道山の孫、力、山本SAN、Xと対戦した。 Xは当初、力道山の次男で力の父・百田光雄が出場を予定していたが入場でマイクを持った百田は「体調が回復しない」と肺がん闘病中であることから欠場を発表。そして「素晴らしい選手に代わって出ていただくことにします。大森選手お願いします」と代役で大森隆男が出場することを発表した。 メモリアル試合では藤波が力にチョップをたたき込み、ドラゴンスリーパーで絞め上げた。めまぐるしい熱闘は、瞬く間に試合時間の20分が過ぎ去り時間切れ引き分けとなった。 試合後のセレモニーで百田は「父の記念の大会にみんな選手も頑張ってくれて本当にありがとうございます。お客様も満足していただいたと思いますんで今日は本当にありがとうございました」と感謝した。控室では父の命日に「父が亡くなって60年以上たって、これだけファンの人の意識に残っていることがありがたいことだなと思っています」と明かした。 今年9月に76歳を迎えた百田は、2021年2月に肺がんに侵され、2か月半入院。翌22年に同じ肺がんを再発。現在も治療している。さらに、昨年春には誤嚥(ごえん)性肺炎を2度、発症し入院。今年に入り新型コロナウイルスに感染し入院。その後、心臓疾患でも1か月ほど入院した。この日は、セレモニーでリングに上がったが「リングに上がるのは結構、久しぶり」と明かし「足が全然ダメなんで、キツかった。立っているのがキツくなっちゃっているもんね。なるべく歩くようにして足のリハビリをしているけど、なかなかこの年だと筋肉が戻ってこない。それがつらい。戻ったらもう1回、リングに上がってみたいと思うけど難しいと思います」と吐露した。 試合後のセレモニーでは藤波から花束を贈られた。藤波とはトークイベントなどで同席しているが、「リング上」では「日本プロレスで対戦した時、以来」と明かし、藤波が日本プロレスを退団した1971年以来、53年ぶりだったという。「だから。本当に久しぶりでね。彼もハードな試合をずっとやってきているけど、それでも頑張っているからたいしたもんだと思います」と70歳で現役を続けるドラゴンを絶賛していた。
報知新聞社