“永遠”のギザの三大ピラミッドはどう建てた? 4500年未知だった空間の発見も続く
ピラミッドはいかにして建てられたか
ピラミッドの建設には古代の巧みな技が用いられており、どのようにして造られたかは現代の科学者や技術者にさえも、はっきりとは分からない。だが、建設に携わった人々やピラミッドの実現に必要だった政治力については多くのことが分かってきている。 造営に携わったのはエジプト人の熟練労働者で、現場の近くには彼らのために約7万平方メートルに及ぶ町も造られていた。製パン所や動物の骨が多数残されていることから、労働者たちは十分な食事をとっていたと考えられる。資源が豊かで、高度に組織された地域社会の痕跡が発掘されていることから、強力な中央権力の存在がうかがわれる。 エジプト全土にある遺跡やパピルスに残された古代の記録から、アスワンの採石場で切り出された花崗岩や、シナイ半島の銅製の切削工具、レバノンの木材など、ピラミッドの建設に必要な資材はナイル川や運河を利用して船でギザ台地へ運ばれたことが分かっている。労働者の生活を支えるための家畜も、ナイル川デルタの近くの農場から船で運ばれた。 労働者と、彼らが必要とする食料やその他の生活必需品はエジプト全土から集められたと考えられている。ピラミッド建設は、ファラオの富と支配力を誇示する、いわば国家プロジェクトだったのだ。 実際にどのように石が積み上げられていったかについては、まだはっきりとした結論は出ていない。巨大な直線型の傾斜路を造り、そこを水や土で湿らせて、そり、ロープ、ころ、てこなどを使い、運び上げたというのが定説になっている。 だが、一部の専門家は、ピラミッドの外側を回るようにジグザク型あるいはらせん状の傾斜路を築いたのではと考えている。中にはピラミッドの内部に傾斜路を築いたという説もあり、大きな議論を呼んでいる。 ピラミッド建設の秘密はおそらく内部に隠されている。将来、画像技術がさらに進歩し、石の積み方などが解明されれば、この時代を超えた建造物がどう出来上がっていったかが分かるだろう。 ピラミッドは古代エジプト社会の形成を助け、そのありようを後世に残した。ピラミッドが残っているおかげで、遠い昔に失われてしまった世界を今、うかがい知ることができる。 「現代の人はピラミッドを単なる墓と考えがちですが、そうではありません」と、米ハーバード大学のエジプト学者ピーター・デア・マヌエリアン氏は言う。「装飾を施されたこれらの墳墓には古代エジプト人が送った人生のあらゆる側面が刻まれています。彼らがどう死を迎えたかだけではなく、どう生きていたかが分かるのです」 ピラミッドの壁画には畑仕事や家畜の世話をする農民、漁や野鳥狩り、大工仕事、人々が衣装を身に着けて宗教儀式や埋葬を行う様子が描かれている。 碑文などからは古代エジプトの言語と文法の研究ができる。「ファラオ文明に関して知りたいことがあれば、答えはほぼすべてギザの墓の壁にあります」とデア・マヌエリアン氏は言う。 こうした貴重な資料の多くは「デジタル・ギザ」で誰でも無料で閲覧が可能だ。これはハーバード大学が学術プロジェクト「ギザ・プロジェクト」の一環として、世界の主要な研究機関からギザに関する写真、平面図、図面、写本、遠征日記などを集めて作ったオンラインデータベースだ。 データベースには、今は消えてしまった壁画や碑文、紛失あるいは破壊されてしまった工芸品、一般には公開されていない墳墓などについての資料が収められている。 デジタル・ギザは、ピラミッドの3Dバーチャルツアーも提供している。実際にピラミッドを見る体験には及ばないかもしれないが、世界中のどこからでもギザ台地を訪れ、ピラミッドや神殿、さらには埋葬室までも説明付きで案内してもらえる。