「役所仕事の大失敗や」 神戸・新長田“震災復興”30年の終焉に、誰も喜ばないワケ! 再開発が抱える深刻問題とは
再開発ビルに多数の空き区画
1995(平成7)年の阪神・淡路大震災で最大の被害を出した神戸市長田区の新長田地区で復興の再開発事業が終わった。しかし、身の丈に合わない開発はあちこちに重いつけを残している。神戸市長田区のJR新長田駅から国道2号線を渡って大正筋商店街に入る。師走の平日夕方とあって、通りにはそこそこの人出があるが、周囲を見渡すとシャッターを閉じた店舗があちこちに。空き区画を埋めるために入居したとみられるNPO法人や市の外郭団体の事務所もあり、活気あふれる様子は感じられない。 【画像】「えぇぇ!」これが現在の「シャッター街」です! 画像で見る(15枚) 南へ進んで再開発ビルの地下へ入る。2022年に出店したスーパーのロピアが買い物客でにぎわっているが、その向かいはテナント募集の看板が掛けられたシャッター街だ。買い物の女性(76歳)は 「空き店舗ばかりで寂しい。震災前のほうがずっと活気があった」 と残念そう。 一帯は震災で焼け跡となった商店街の両側に複合施設「アスタくにづか」が6棟整備され、地下から地上2階に物販店や飲食店が並ぶ商店街、その上に共同住宅が入っている。吹き抜けや渡り廊下が各所に見える凝った造りで、バブル期の名残りを感じさせる。
増加した住民、戻らぬ地権者
震災前の長田区は靴メーカー約230社が集まる靴の街で、戦災を免れた木造住宅や商店、工場が密集していた。大正筋商店街は約300mのアーケード街に100以上の店舗があり、地元の人でにぎわっていた。 しかし、阪神・淡路大震災がそんな長田区の日常を消し去った。震災の激しい揺れのあと、火災が発生する。商店街や靴工場は灰になった。長田区内の死者は約920人。全壊建物1万5000棟以上、焼失建物5000棟近くを出し、靴工場は約8割が操業不能に陥った。震災で最も大きな被害が出た地区として有名だ。 市は震災から2か月で震災復興の都市計画を決定し、新長田駅前から大正筋商店街にかけた 「19.9ha」(一辺が446mの正方形に相当) で再開発事業を始めた。市が土地などを買収し、再開発ビルの区画を販売する仕組み。整備した再開発ビルは44棟、供給された住宅は約2800戸、商業業務施設は延べ約10万5000平方メートル、総事業費は約2280億円に及ぶ。 その結果、居住人口は震災前の約4500人が1.4倍の約6100人に増えた。しかし、震災前の地権者約1600人のうち、戻ってきたのは4割程度。商業区画に売れ残りが続出する。残った区画がすべて売れたとしても赤字額は320億円以上。処分できなければ 「約500億円」 という散々な結果になった。