「ダンプ松本」が覚醒した1984年 クラッシュブームは頂点に達し、女子プロレスがゴールデンタイムに復活
8月21日、人気沸騰のクラッシュが歌手デビュー。『炎の聖書(バイブル)』がリリースされ、人気に拍車をかけた。10代の少女を中心に、老若男女が知る国民的アイドルへと昇華していったのだ。歌手としてのクラッシュギャルズはその後、トータルでシングル7枚、企画ものも含めアルバム8枚をリリースすることとなる。 そして、デビュー曲発売から4日後の8・25後楽園ホール、クラッシュが堀&大森を破り、3度目の挑戦にしてWWWA世界タッグ王座戴冠をはたしてみせた。が、その後の「WWWAタッグリーグ戦」ではジャガー&デビルが長与&飛鳥を破り優勝。クラッシュの壁として立ちはだかった。それでも、10・6後楽園ホールではクラッシュがラ・ギャラクティカ&ローラ・ゴンザレスを破りWWWA世界タッグ初防衛。12月10日には長与&飛鳥&大森の55年組トリオが実現。こちらも同期のダンプ、ユウにペギー・リーを加えたトリオから勝利を飾ってみせた。また、この年のMVPにはクラッシュが選出されている。 85年(昭和60年)、クラッシュブームは頂点を迎える。まずは、1・6後楽園ホールでクラッシュが山崎&立野にWWWA世界タッグ王座防衛。この月に行なわれた新人オーディションには前年に爆発したクラッシュ人気から空前の入門希望者が集まった。2月には極悪同盟の中野がブル中野に改名、ヘアスタイルも一新し、ダンプの片腕的存在となっていく。 2・25大田区体育館でWWWA世界タッグ王座が移動。ダンプ&ユウが反則絡みでクラッシュからベルトを強奪してみせたのだ。4・2愛知県体育館での再戦は、大荒れの末にノーコンテスト。ベルトはコミッショナー預かりとなった。この時期にはシングルリーグ戦「ジャパングランプリ」が開催中で、4・6後楽園ホールにて長与と飛鳥がクラッシュ対決。試合は、30分フルタイム闘い抜いて引き分けた。ダンプvsユウのパートナー対決も4月26日に行なわれており、ダンプがユウを血の制裁。極悪同盟からの追放を言い渡されたユウは引退を表明した。