なぜ怖い?怪奇漫画家・日野日出志が明かす恐怖の正体
漫画家、日野日出志(ひの・ひでし)はホラー漫画の巨匠であり、怪奇や抒情的な世界を独特のタッチで表現する。今年春、73歳になった日野だが、名前や過去の栄光に安住する気配はない。6月に発売した15年ぶりとなる新作「ようかい でるでるばあ!!」(原作:寺井広樹)では子ども向けの絵本に初挑戦と、新しいことへの探求心は尽きない。独自の世界観の源泉にせまる。
いきなりの挫折から始まった漫画家の道
少年時代は、東京は板橋の蓮根に住んでいた。「外遊びばかりしている悪ガキだった」と笑う。 「田畑がいっぱいあったんですが、新河岸川を越えると化学工場とか鉄工所があって風景が一変するんです。田園と工業地帯は僕の原風景ですよ。戦争に負けて何もない時代でした。それが、だんだんと田んぼが潰されて運送会社ができたり、いま行ってみると昔の面影はまったくない。建物なんかも、木造の平屋建てから鉄筋コンクリートのマンションに変わってしまいましたからね」 高校の頃、最初はギャグ漫画を描こうとして、いきなり挫折する。偉大な先人たちの作品を観るにつけ、とてもかなわないと打ちのめされた。 「赤塚不二夫に挫折して、小島剛夕に挫折して、やるもんなくなっちゃってね。そりゃそうですよ、高校生でしたからね。それに、赤塚さんたちの作品を読者として見ているときと、自分が描く立場になって見たときでは、まったく見え方が違うんです。圧倒的な実力に、打ちひしがれてしまうんですよ。じゃ、高校生だから学園ものをやろうかと思ったけれど、それも自分の方向性じゃなかった。何やっても、迫ってくる手応えがないんです」 それでもとにかく漫画を描きたかった。高校卒業後もその一念で描き続け、1967年に漫画雑誌「COM」10月号で第5回月例新人賞に入選しデビュー。翌68年には「ガロ」でも入選した。
挫折から救われたブラッドベリ作品との出会い
しかし、日野を再び挫折感が襲う。 「漫画家になって、少女漫画から西部劇までなんでも描いたんですが、さっぱり手応えがない。毎回、絵(画風)も変わっちゃって自分の型がなかったんですよ。原稿も売れなくなってきて、もう漫画家を辞めようかと思いました。で、何をしたらいいんだと迷っていたときに、たまたま友だちが『これ読んでみたら』って」 レイ・ブラッドベリの「刺青の男」だった。アメリカの作家でSFや怪奇、幻想文学などで知られるブラッドベリが紡ぐ大人の寓話的な要素にピンとくるものがあった。 「要は発想です。インスピレーションを受けたんです。ドンピシャときた。それで怪奇と抒情っていう2つの言葉でくくられる世界観が決まったときに、どんどんアイデアが出始めたんです」 怪奇のイメージが強い日野だが、その作品に欠かせないものとして、必ずある種の抒情が込められている。 「それまでの日本にも恐怖漫画はあったけれど、抒情という要素はたぶんなかった。もしあるとしても、雪女の伝承とかね、ああいう世界観が好きだったんです。でも古い物語をそのまま漫画にしても面白くないので、ブラッドベリは大きなヒントになりましたね。あの時代の自分にピタッとくるものがあったんです」