親の介護、夫の闘病…家族を支えながら模索したフローリストの仕事
塾講師とフラワーアレンジメントレッスンと介護の日々
──スクールを卒業後は、どのような仕事をされたのですか。 たかはし:相模原市の相武台団地で友人が寺小屋みたいな塾をやっていて、スクールに入る前からその友人と中学生に国語と英語などを教えていました。 スクールを卒業後、昼間の塾がないときにその部屋を借りて、PTAのお母さんたちを相手にフラワーアレンジメントのレッスンなど、単発でちょこちょこやらせてもらいました。 ある日、ママさんバレーのチームメイト5、6人が花を習いたいと来てくれて、単発のつもりで引き受けたら「先生、次はいつですか」と言ったんです。「つまりこれって教室なんだ!」と感激して。 それからそのママさんたちが、どんどん友達を連れてきてくれました。人数が増えたので団地の部屋では手狭になって、公民館でやるように。地域情報誌にも載ったりして、どんどん輪が拡がって今に至ります。当時からずっと通い続けてくれている生徒さんもいますよ。 ──教室を始めた当初、苦労したことなどはありますか? たかはし:最初のうち、花は花屋さんで買ったり、自宅の庭で摘んだりしてなんとか賄っていたのですが、レッスンの回数が増えたり、規模が大きくなったりで、花の仕入れがだんだん大変になってきました。花資材の問屋さんとの取引が決定してからは、花だけでなく、器なども仕入れ価格で購入でき、すごく楽になりました。 またレッスン料の設定にも苦心しました。生徒さんは主婦が多いから、そんなに高くはできない。最初は一回につき2500円をいただいていました。花と器、そしてレッスン後のお茶・お菓子代です。 今は生花コースは1回につき3000円でやらせていただいています。生花は値段が変動します。そしてロットで仕入れないといけない。例えば10本仕入れたら8本は使い切りたいけれど、生徒さんが5人しか来ない日もある。 日持ちがしないから、それだけロスが増えるんです。どうしたら花でビジネスができるんだろうと結構悩んで、そこで初めて大学で学んだ流通マネジメントの知識が生かされました。 ──お母様の介護はその後、大変でしたか? たかはし:くも膜下出血で倒れてから、母は認知症のような症状になったんです。昼間は介護で、フラワーデザインの仕事はなかなか入れられない。そしてじつは夫も同じころ、腎臓がんが発覚して……。 夫の足の付け根に、大きなできものができていたんですね。なんだか心がざわついて、病院に行かせたら、紹介状をもらって帰ってきたんです。 近辺にあるいちばん大きな病院に行けと言われて行ったら「今日入院して今日手術する」と夫から電話があって。腎臓に4センチくらいの影がある、もし悪性だったら他に転移している可能性があるから、とりあえず大きいものは取りましょう、と医者に言われました。 病理検査したらやはり悪性腫瘍で、ステージ4。そこから、怒涛の抗癌剤治療がスタート。半年ぐらいかかりましたね。 夫は18キロぐらい痩せましたが、見事に生還。その病院に父と母、そして夫が同時にお世話になったという時期があったんです。母は倒れてから6年後、64歳で亡くなりました。 「green&books 桜の棚」店内。ディスプレイ台になっているエリザベス様式の鏡台は、たかはしさんのお母様の遺品。 *** 自身の結婚、出産、子育てばかりでなく、弟の急死、親の介護、夫の闘病……家族を支えながら、念願の花の仕事に就いた、たかはしさん。後編では、「相武台団地商店街 グリーンラウンジ・プロジェクト」に挑戦した経緯、店主としてのお仕事についてお話をうかがいます。 たかはしさんが店主をつとめるライフスタイルショップ「green&books 桜の棚」 植物、本だけでなく、雑貨、used品も扱っている。また花束などフラワーギフトも注文できる(予約制)。 〒252-0323神奈川県相模原市南区相武台団地2丁目3?5 営業時間:10:30~17:30・火曜定休 桜の棚HP https://www.sakuranotana.com/ 桜の棚インスタグラム https://www.instagram.com/sakuranotana/ たかはしさんの展覧会&ワークショップ 11/8(金)~10(日)、東京・中目黒ギャラリー燦にて、書家の甘雨さんとの二人展 『黒と翠 Kuro to Sui』を開催。書と植物のコラボワークショップも楽しめる。 たかはしさわこインスタグラム https://www.instagram.com/1999unjour/ 取材・文/国松 薫
@DIME編集部