結局のところ、バターは体に悪いのか、悪くないのか? 半世紀以上の論争を経て振り出しに戻った「善悪二元論」のいきさつ
味なニッポン戦後史#3
バターとマーガリン、「体に悪い」のはいったいどちらなのか? そんな論争が半世紀以上も繰り返される中、昨今は、「油=太る」という従来の単純なイメージも変わりつつある。脂肪に対する戦後日本の飽くなき欲求はどのように変遷したきたのか? 【画像】トランス脂肪酸を多く含む食品を食べ続けると体はこうなる… 世相とともに揺れ動いてきた日本人の味の嗜好に迫った「味なニッポン戦後史」より一部を抜粋、編集してお届けする。
バターvs.マーガリンから始まった善悪二元論
最近、体にいい油、悪い油という言葉をよく耳にするようになった。「『油』ダイエット」(『日経ヘルス』2015年9月号)なんて言葉も飛び出すくらい、「油=太る」という従来の単純なイメージは変わりつつある。 油の善悪二元論は、もとをたどれば1960年代のアメリカにたどり着く。 1955年にアメリカのアイゼンハワー大統領が心臓発作で倒れ、心臓病への関心が一気に高まると、その犯人探しが始まった。 ミネソタ大学の生理学者アンセル・キーズは、心疾患と脂肪との関係に着目。バターやラードなどの動物性脂肪や、パーム油、ココナッツオイルなどのトロピカルオイルに多く含まれる飽和脂肪酸が血中コレステロールの上昇を招き、心疾患のリスクを高めるという仮説を提示した。 この研究が認められてキーズは1961年に『TIME』誌の表紙を飾り、妻との共著『長生きするための食事特に心臓病・高血圧・肥満症の人のために』(橘敏也訳、柴田書店、1961年)はベストセラーとなった。なお、博士はオリーブオイルをベースにした地中海式ダイエットの生みの親でもある。 キーズの仮説には因果関係が説明できないとの反論もあったが、肥満が大きな社会問題となっていた状況で異論はかき消され、飽和脂肪酸は一気に悪者へと転落した。 そのイメージダウンは根強く、1980年代から1990年代にかけ、大手の食品企業やファストフードチェーンは動物性脂肪やトロピカルオイルから硬化油への切り替えを余儀なくされた。 硬化油とは、常温では固まらない植物油に部分的に水素を添加し、半固形または固形に加工したもので、マーガリンやショートニングの原料になる。 ここで1961年(昭和36)8月28日、翌29日の上下2回にわたって朝日新聞夕刊に掲載された「一日一回フライパン運動 ―栄養改善普及会・近藤さんの報告―」という記事を見てみよう。 2回目の8月29日の記事で、運動を推進した近藤とし子はキーズ夫妻の『長生きするための食事』を紹介しながら「リノール酸やリノレイ酸(著者註:リノレン酸)を含む植物性油なら、むしろ動脈硬化の予防としておすすめしたいくらいです」と語っている。 そして油脂の摂取量を増やすため、フライパン運動の裏で「目下『一日一度はパンにマーガリン運動』という呼びかけをすることにもなったのです」と締めくくった。 マーガリンといえば、日本では長らく「人造バター」と呼ばれ、バターの代用品として扱われてきた。また、戦後の混乱期には粗悪品も多く出回り、世間の評判は決してよいとはいえなかった。 イメージが変わるのは、マーガリンの呼び名が広まってからだ。1950年(昭和25)から厚生省(当時)は「マーガリン」の呼称を使い始め、業界団体である「日本人造バター工業会」も1952年に「日本マーガリン工業会」へ改称。 1954年には、ロングセラー商品となるネオソフトの前身「ネオマーガリン」が雪印乳業(現・雪印メグミルク)から発売された。粉食の普及のかけ声も手伝って、マーガリンは順調に需要を伸ばしていた。 そこにきて、飽和脂肪酸はよくないというニュースが飛び込んできたのである。日本ではなぜか飽和脂肪酸は動物性油に変換され、動物性脂肪は悪い油、植物性油はよい油という雑な分類が広まっていく。 その証拠に、1985年(昭和60)に厚生省(当時)が策定した「健康づくりのための食生活指針」には「動物性の脂肪より植物性の油を多めに」という文言が入っている。 バターは動物性脂肪だから〝体に悪い〞。マーガリンは植物性油由来だから、バターよりも〝ヘルシー〞。こうしてマーガリンはまがいもののレッテルを脱ぎ去り、食卓を席巻したのだ。