【百瀬文『なめらかな人』書評】1億4,000万人もの少女が「消失」する世界で「作品」を見ること、作ること
彫刻家・評論家の小田原のどかさんに、刊行されたばかりの『なめらかな人』(百瀬文著)の書評を書いていただきました。 小田原さんにとって「同世代の美術家のなかでもっとも言葉を尽くしてきた作家のひとり」である百瀬さんの作品や本をどう見てきたのか。 ぜひご覧ください。
「美術」を生活する身体から切り離さないこと
月刊誌と新聞の連載があり、この4年間、毎月、展覧会や美術作品の評論を書いてきた。振り返れば、同世代の美術家のなかでもっとも言葉を尽くしてきた作家のひとりが、百瀬文ではないかと思う。同世代とはいえ友人関係にあるわけではないが、折に触れて作品を見てきた。忘れがたい作品や展示はいくつもあるが、なかでも印象深いのが、東京・目白のギャラリーで開催された「遠藤麻衣×百瀬文「新水晶宮」」展(会期:2020年7月4日~8月2日)だ。 本展で発表された「新水晶宮」シリーズの一作、遠藤と百瀬による共作《Love Condition》は、ふたりの4本の手が水粘土をこね、指を絡め合いながら、様々な性器の形状を考察する映像作品だ。性差と身体、性器の整形、射精至上主義、コロナ禍での新たな性交渉、二次創作におけるオメガバース、理想の性器についてなど、ふたりの話題は尽きない。 わたしにとって本展の印象深さは、会期がはじまる直前、6月30日に、「世界人口白書」の2020年版が世界同時発表されたことと深く関わる。「世界人口白書」は1978年からUNFPA(国連人口基金)が毎年公開する報告書で、毎年異なるテーマを設け、特定の問題を焦点化する。2020年版は「有害な慣習」がテーマとなり、女性性器切除とともに男児選好が取り上げられた。 女性性器切除の痛ましさも筆舌に尽くしがたいが、衝撃を受けたのが男児選好だ。2020年版「世界人口白書」でUNFPAは、「いくつかの国では、娘よりも息子を極端に好む男児選好により、出産時の偏った性選択や極端なネグレクトによる育児放棄につながり、その結果1億4,000万人もの少女が『消失』している」(★1)と報告した。 中国とインドでこの傾向が顕著に見られるというが、中絶などによる男児選好によって失われた命は、1970年の時点で6100万人、2020年までで累計約1億4千万人にのぼったという。本発表を受け新聞記事やニュースサイトは、「女児 1億4千万人が『消失』」などの見出しで、本件を報じた。 こうしたが男児選好が大きな問題をはらんでいることは言うまでもない。ジェンダー、人種だけでなく、性別も社会によって構築される。男児選好によって失われたのは「女児」だけではない。そしてまた、出産時の偏った性選択、すなわち中絶における命の選別とは、超音波検査を介した陰茎の視認によるものだ。男性器が選ばれ、男性器のない者が選ばれない。中絶における男児選好とはペニス崇拝であり、ペニスのない者に対する虐殺にほかならないのではないか。その事実を前に、しばらく体調を崩していた。 「遠藤麻衣×百瀬文「新水晶宮」」展を訪れた当日も体調はかんばしくなかったが、ぼんやりと作品を見ながら、不思議と自分が回復するのを感じた。《Love Condition》に映された粘土による創造行為と「理想の性器」をめぐる対話は、鑑賞者を慰撫するものとしても意図されていたように、私には思われた。こうしていまこの文章を書きながら、あの展示会場でひとり作品を見つめ、回復を感じていた時間を思い出している。 『なめらかな人』でも本作は言及されている。しかし本書は、気鋭のアーティストによる制作論・作品論ではない。いや、制作論・作品論であるのだが、「作品をつくるまなざしと、日々を生きるまなざしは、常にわたしの体の上で重なり続けてきた」と百瀬が書いているように、「制作」や「作品」や「美術」は生活する身体から切り離されずに提示されている。 百瀬の作品を知る人であれば、書籍に書かれた内容から関連する作品を思い浮かべることができるはずだ。むろん、作品を知らない人にも、百瀬のまなざしやありようを自身の人生と重ねて味わう読書の楽しみが存分にある。あらためて、得がたい人物であると思う。『なめらかな人』にも多くの慰撫があった。その慰撫が、人を生かすことだろう。かつてのわたしのように。 ★1 「世界人口白書2020 自分の意に反して:女性や少女を傷つけ平等を奪う有害な慣習に立ち向かう」
小田原 のどか(彫刻家、評論家)