血のつながりあればいいの?國村隼が考える家族とは
少年時代に自動車、それもとくにエンジンに深い興味を抱きエンジニアを目指していたという國村隼が、鉄道の運転士役を味わい深く演じている。30日から全国公開される映画『かぞくいろ―RAILWAYS わたしたちの出発―』(脚本・監督:吉田康弘)は、血のつながらない家族の再出発とその人生を鉄路に重ねて描く。長いキャリアの中でも運転士役は初めてという國村に話を聞いた。
役割としての父と母と子
「この映画をやるまでは、鉄道のことはあまり知らなかったんです。ただ、自動車もそうですが鉄道も熱心なマニアの方の世界があって、模型なども精巧な金属製のものがあることは良く知っていますしね。やってみると、鉄道ファンの方たちの気持ち、ちょっとわかるような気がしました。普段客席から見ている車窓と、まったく違う風景が運転席から見えるんです。自分がこれを動かしているという感覚でその景色を見ていると、楽しいんですよね」 舞台となった鹿児島と熊本を結ぶ肥薩おれんじ鉄道が走る景色、とくに海岸線のそれはスクリーンで見ても圧倒的に美しい。國村の役どころはそろそろ退職を考えているベテランの運転士、奥薗節夫。妻に先立たれ鹿児島で一人暮らしをしているところに、息子の嫁である奥薗晶(有村架純)が突然訪れる。晶は夫に先立たれ、残された夫の連れ子・駿也(歸山竜成)を抱えて義父である節夫を頼りに会いにきたのだった。節夫は、疎遠だった息子の死を知るとともに、初めて会う息子の嫁や孫に困惑しながらも、行くあてがない2人を家に住まわせる。やがて晶は、節夫と同じ肥薩おれんじ鉄道の運転士試験を受けることを決意。それは亡くなった夫・修平の子どもの頃の夢でもあった。 「家族って、いったい何だろうって考えたことがあるんです。血がつながってさえいれば家族なのか。母、父、それは呼び名であって役割ですね。男女が出会って結婚した途端、妻と夫と呼ばれる。子どもができたら、母、父という別の役割が付加される。むしろ血がつながっていることに安心して胡坐をかいて、その役割を果たしていなかったら、果たして家庭は成り立つのか。『かぞくいろ』では、節夫と晶は血のつながりもなく、晶と駿也も血のつながりがなくて、役割としての母親をちゃんと果たさなくちゃいけない晶がいる。そこに子どもとしてどう答えていいか戸惑っている駿也がいる。節夫を含め3人が、家族という単位のなかでそれぞれの役割を探していく。それを観ていただくことで、何か感じていただければ」