競争に疲れて「寝そべり族」に、中国Z世代の今 なぜ極端な行動に?流行語から読み解く社会
進学と就職にかかる大きすぎるプレッシャー
「躺平」と「裸辞」に共通している問題として、中国でしばしば議論になることの1つは、厳しすぎる受験戦争の反動ではないか、という点だ。 よく知られているように、中国では「高考」に向けて幼い頃から受験勉強が始まる。生まれたばかりの赤ちゃんの枕元に「高考まであと6540日」などと書いた紙を置いて写真を撮るのが定番で、つまり、それほど幼い頃から高考に向けて、厳しい戦いが始まっているという自虐的な意味である。 保護者からのプレッシャーを長年受けながら厳しい受験を勝ち抜き、ようやく大学に合格。しかし、そこでも競争はなくならず、さらによりよい就職を目指して頑張らなければならない、というのが中国の若者が歩む道だ。 先日、広東省に住む筆者の知人が、SNSに子どもの答案用紙の写真を載せていたのに目が留まった。そこには、「クラスの中でどの生徒が蹴落としたいライバルですか」と先生のコメントが書いてあり、知人の子どもが「陳〇〇さんと、王〇〇さん」と書いていたことに、筆者はとても驚かされた。 ある程度の競争はモチベーションアップのためにもよいことだと思うし、人口が多い中国で競争がつきものなのも承知している。個人的に「ライバルは〇〇さん」と自覚することもあるだろう。だが、学校の答案にまでライバルの名前を明記し、闘争心を煽るという教育のやり方に違和感を覚えた。 ここまでして、一心不乱に勉強した結果、一流の大学に合格し、有名企業に就職できる人もいる。だが、それはごく一握りで、ほとんどの若者は、必死でがんばってもいい大学に進学できず、よい仕事にも就けない。親の期待に応えられなかったことにより、自己嫌悪に陥る。そこで、自分は何の価値もない人間なのだ、と感じてしまうのだ。
「一人っ子」として甘やかされてきた若者たち
中国の若者にとって、夢や希望は「将来、〇〇(職業)になりたい」や「〇〇になって、世の中の人の役に立ちたい」ということではなく、「一流大学に合格すること」や「有名企業に就職すること」自体になってしまっている。その結果、それが叶わなかったときの反動や失望、絶望が非常に大きくなる。 そこには、一人っ子で甘やかされて育ってきたことも関係しているだろう。中国が一人っ子政策を実施したのは1979年以降。2016年からは、すべての夫婦が第2子を持つことが認められ、現在は3人目まで認められているが、Z世代の若者の多くは一人っ子だ。 両親だけでなく、父方、母方の双方の祖父母からの期待も一身に背負って、大事に育てられてきた。小学校だけでなく、中学校に通う際にも、保護者やお手伝いさんがカバンを持ってくれるような、甘やかされた環境にいる若者も多かった。 そのため、自分にとって厳しい状況を受け止め、我慢することよりも、「割に合わない」「嫌いな仕事を振られた」と感じたら、すぐに仕事を辞めてしまうという行動に出やすいのではないだろうか。 むろん、我慢することが必ずしもよいことだというわけではない。だが、都市部では、保護者と一緒に生活している若者が多いため、もしいきなり退職しても、翌日から生活が成り立たなくなるわけではなく、当面の生活には困らない。本当に経済的に苦しいギリギリの生活をしていたら、「躺平」や「裸辞」はやりたくてもできない。 そう考えると、これらの言葉の流行は、厳しすぎる受験戦争の反動であるのと同時に、ある意味で中国全体が豊かになったことの現れ、とみなすこともできるのではないかと感じている。 (注記のない写真:Jcomp/Getty Images)
執筆:ジャーナリスト 中島 恵・東洋経済education × ICT編集部