日本の精鋭演劇人が集って「デカローグ」の舞台化に挑戦、いよいよ最終章に突入!
デカローグ9『ある孤独に関する物語』の主人公ロマン(伊達暁)はすべてを失う。医師に性的不能を宣告されただけでなく、妻のハンカ(万里紗)は近所の大学生と不倫している。しかしこれはロマンの悲劇と孤独への同情で終始する物語ではない。むしろ物語で試されている主体はハンカであり、彼女は侵犯者としての自分の進退をどのように向けようとするのかが焦点となる。全10話にわたって物語の舞台となってきたワルシャワの集合住宅において、ハンカは実母が転居した跡の空き部屋もキープし、そこが好都合な不倫現場となる。だがこの無人の余白こそ、彼女の弱点なのである。 筆者は「デカローグ」1~4話について書いたレビュー記事、および5&6話についてのレビュー記事において、この未曾有の大型演劇プロジェクトの真の主人公は、人間たちのうごめく数棟の集合住宅である、と重ねて強調してきた。そしてそのうごめきを根底から支えるコーナーキューブ状の空間をしつらえた針生康(はりう・しずか)によるセット構造こそ、今回の連続上演の肝であり、ヨーロッパ演劇シーンでも高い評価を得てきたこの舞台美術家がエピソードごとに縦横無尽に組み替えてみせるセット構造が、人間生活の代替性、可塑性、非人称性、没個性を残酷にきわだたせているのだと強調してきた。
そして最終プログラムのうちデカローグ8『ある過去に関する物語』こそ、今回の連続上演の総括ともいうべき状況を作り出しているのではないか、と筆者は考える。集合住宅のセットは絶えず組み替えられ、あらゆる人々の喜怒哀楽を飲み込んできた。それは小宇宙と化し、社会/人間生活についての仔細なジオラマを形成してきた。 ところが『ある過去に関する物語』において、大学で倫理学を講じる女性教授ゾフィア(高田聖子)と、彼女の著作を英訳してきたアメリカ在住の女性エルジュビェタ(岡本玲)のあいだの苛酷な過去の宿縁が白日のもとに晒され、ゾフィアという倫理学者の依って立つ倫理性が再審にふされた日、集合住宅内の自宅にエルジュビェタを招待したゾフィアは、なぜかはよくわからない理由でエルジュビェタを見失ってしまう。勝手知ったるはずの集合住宅のいつもの階段、いつもの廊下、いつもの隣人が、突然に気味の悪い未知の領域へと転移していってしまったかのようだ。