部下から「老害と思われる上司」と「メンターと思われる上司」のたった1つの違い
メンターとは、人生全般について有益な助言を与えてくれる頼もしい存在だ。しかし一歩間違えば、お節介な「老害」となってしまう可能性を秘めている。あなたは老害になっていないだろうか?若手に本当に必要とされるメンター像について説く。※本稿は、前田康二郎『メンターになる人、老害になる人。』(クロスメディア・パブリッシング)の一部を抜粋・編集したものです。 【この記事の画像を見る】 ● コミュニケーションにおいて 取り扱いが難しい「お節介」 「お節介」というのはコミュニケーションの中でも最も取り扱いが難しいものの1つであると私は考えています。なぜなら、当事者が「お節介は結構です」と断った場合でも、無理やりお節介をすることで事態が好転して、その本人にも良い結果をもたらすことがあるからです。 たとえば、老々介護で困っている近所のご家族を見かけて「周囲の助けを借りたほうがいい」と声をかけたら「迷惑をかけたくないから放っておいてください」と拒絶されたとします。それでも、お節介で役所などに手配をして、結果的にその家族が助かるというケースもあります。 だから「お節介はしないよりしたほうが良い」と考える方も多いですし、メンターになるような方は実際に「自称お節介」な方が多いと思います。 ただ、次のようなケースはどうでしょうか。 ある会社の若手社員が、自分の企画書を企画会議に提出しようとしていました。するとその上司が、その内容を見て「ちょっと手直しをしたほうが絶対に企画が通るから、企画を少し手直ししてあげるよ」と言いました。しかし若手社員は「企画が通らなくても後悔しませんので、自分の企画のまま出してみたいです」と、その申し出を断ったそうです。そして結果的にその企画は通りませんでした。
● 部下への助言も 度を越せば老害に 結果から見れば、「上司の言うことを素直に聞いておけば……」と思う人も多いかもしれません。ただ、もし上司の言う通りにしてその企画が通ったとしても、若手社員はきっと浮かない顔をしていたでしょう。上司の手垢が少しでもついてしまった瞬間、それは純粋な自分の企画ではなくなり「自分の原案をベースとした上司の企画」になってしまうからです。 もし、若手社員の方から上司に「今度の企画会議で自分の企画を絶対に通したいので、直すべきところがないか見てください」と言ったのなら、上司が直したほうが良いポイントを指摘し、部下も素直に従い、「上司にサポートしてもらった自分の企画書」として提出することでしょう。そしてその企画が通っても通らなくても上司に会議後「相談に乗って頂きありがとうございました」と感謝するはずです。 上司に助言を求めないのは、「力不足かもしれないけれど、自分の力だけでやってみたい」という意思表示です。上司なら部下の企画を通したいと思うことでしょう。そしてアドバイスをする力量が自分にあれば、部下が拒否してもついお節介を焼きたくなります。 しかしその気持ちが度を越してしまい「どうして好意を素直に受け取らないんだ!」と激昂してしまうと「部下の企画書に必ず自分のつばをつけたがる上司」と誤解され、老害扱いされてしまう危険性もあります。