「額にタトゥー」の母親兼インフルエンサーが語る、我が子を学校に通わせない「アンスクーリング」の是非 米
ぶっちゃけ、相当な経済的余裕が必要
ぶっちゃけ、相当な経済的余裕が必要 だが誰もがベンのような経験をするわけではない。アンスクーリングに関するデータは限られているものの、教育やコミュニティのサポートがあまり受けられない子どもはアンスクーリングにあまり向いていないことも実証されている。オナミさんによれば、アンスクーリングを実践する親は怠惰で無関心だという世間の見方とは裏腹に、実際は膨大な時間とエネルギーがないとつねに子どもに付きっ切りではいられない。ぶっちゃけ、相当な経済的余裕が必要だとも語った。「時間が相当制約されます」とオナミさん。「かなり余裕がないとできません。自分が満足できる形で実行するには、経済面での負担も相当かかります」。 オナミさん自身、アンスクーリングの「押し売り」をしているつもりはない。「全員にアンスクーリングがおすすめだと考えているわけではありません」と本人も言う。「どの家族もそれぞれ独自の文化があると思いますからね」。だがオナミ家の場合、アンスクーリングは教育上の理由というよりも、現代社会で活躍する立派な大人という概念を改めるのが目的だそうだ。オナミさんに言わせれば、学校は「成功者の大半が送ることになるキャリアの道を、疑似体験させる場です。週40時間勤務、口答えできない上司、チームの仕事、職場での不満。こういうことのシミュレーション」だという。「成功者の人生の80%はこんな感じでしょう。でも残り20%の人たちには、こうした仕組みはそぐわない」。 スピリチュアル系コーチングを生業とするオナミさんは、「他人の下で働くのではなく、クリエイティブな才能を活かして新しいことを始める」ことを我が子に学ばせたいと考え、自分の仕事を息子の教育に盛り込んで、「起業家精神」を促すために野菜の直売所を運営させたり、自分で撮影した写真を親のwebサイトで販売させたりしている(当然といえば当然だが、オナミさんによれば不登校の子どもの多くが「起業家」コミュニティに属しているそうだ。「自分の趣味や得意分野に専念し、それ以外の無関係なことはすべて捨て去る。すごく理に適っているように思えます」と本人も言っている)。 学校に行かない子どもは学業、とくに読み書きの成績がよくないという研究結果もある。少数の研究では、従来の学校に通う子どもやルールにのっとって自宅学習する子どもと比較して、不登校の子どもは一貫してテストの成績が良くなかった。だがこうした子どもも歳を重ねるにつれて、とくに読み書きで後から追いつく傾向にあるとグレイ氏は指摘する。アンスクーリングを実践している保護者や研究者への取材でも、不登校の子どもが12歳まで読み書きできないのは珍しくないという話を再三耳にした。オナミさんの6歳の息子もいまだに文字が読めないものの、本人はそうしたデータを気に留めていない。「私にとって一番大事なことは、我が子が勉強を毛嫌いしないこと。自分が賢いと自信が持てるようにしてやること」だと本人は言う。「そのためにはどんなこともするのが私の目標です」。 多くの子どもたち、それも発達障害を抱える子どもたちにとっては、ルールのない学習環境がマイナスになる場合があることも実証されている。グレイ氏は一例として、発達障害のスペクトラムに該当する女の子を挙げた。その女の子は自由で民主主義的な学校に入学したものの、自律型学習に合わないことが分かり、退学するよう言われたそうだ。「その子は他人を気に留めず、周りに無頓着でした。少なくともはた目にはそう見えました」とグレイ氏。「子どもたちが自由に学び、かつ互いに学び合うという学習環境とは言えません」。 だがグレイ氏は、自律的な学習環境を提供する学校で上手くやっている発達障害の子どもも数多く目にしてきたそうだ。「やりたくないことを人から指図されない学校に通うことで、子どもたちは社交性を学び、自分が得意なことをやっていました」とグレイ氏。「結果として自分の殻を破り、興味のあることを他人に話す術を身に着けていました」。だが同氏も認めるように、社会環境からかけ離れた「自宅での」アンスクーリングでは、こうしたメリットが得られない場合もある。 カンズマン氏いわく、おそらくアンスクーリングの一番の欠点は、研究結果として数字に表れない部分だろう。二極化が進み、市民意識やコミュニティ意識が極端に薄れ、自己が強調されつつあるこの時代、限定された閉鎖的な環境でアンスクーリングを行えば、隔離された環境で育つ子どもが他人の考えや視点に触れずに育っていくのではないかとカンズマン氏は懸念している。 「従来の公立学校が果たす役割に、若い世代に民主主義社会の一員としての心構えをさせるというのがあります」とカンズマン氏は言う。「読み書きが重要な学習能力だという話はよく聞きますが、従来の学校であれ別の形態であれ、学校教育はある意味、若者が思慮深い立派な社会市民になるための養成機関でもあります。この点はもっと話題にしてもいいと思います。他の教育形態が出てきた場合、同じような役割を担えるのか? 具体的にどんな役割を担うのか? この問いの答えはまだ出ていないように思います」。 同じ問いをオナミさんに投げたところ、本人は意に介さなかった。「機能する民主主義で、子どもに市民意識を持たせること――それこそ、私が我が子に一番やりたくないことです。右に倣えで他の子と同じことをし、根本的に破綻した社会の中で上手く立ち回る術を身に着ける」と本人。「学校はそういう世界で暮らし、世界を動かしている体制に疑問を持たせなくさせるための仕組みです」。こうした懸念から、「自宅学習に深くのめり込んでいった」のだとオナミさんは言う。「自分の子どもには絶対そんなことさせたくないですから」。
EJ Dickson