立川志の春が落語の修業時代に学んだ“仕事のヒント” 師匠・志の輔からたたきこまれた言葉「俺を快適にしろ」の真意
要するに、あまり日の目を見ない落語が500席もあるのです。 笑いのボリュームという意味では他の話に及ばない地味な話が、300年の時を超え、500席も生き残っているのはなぜか。 それは、古典落語が師弟間で受け継がれるものだからです。それぞれの一門によって大事にしている話があり、その中には人気が薄い地味な話もある。 全てをマーケットに委ねていないから、600席にものぼる古典落語の多様性が担保されているわけですね。 もし落語家になる門戸が広がり、母数が増えれば、おそらく「派手な話をどれだけ派手にやるか」という流れになっていき、多くの古典落語は忘れられていくのではと思います。 つまり、落語が豊かなまま今に残っている一因は、徒弟制度によって母数が抑えられていることにあるのです。
上の人間に必要な「話を聞く」スタンス
落語家にとって、客席から起こる笑いの種類を客観的に見分けられることは非常に大事です。 ところが、後輩が増え、世間から「師匠」と呼ばれ始めると、だんだんとその目が崩れていく恐れがあるように思います。 人間というものは、「先生」とか「師匠」とか呼ばれ始めると、それだけで自分は立派な指導的立場の人間だと思うようになってしまいがちです。 だから私は今日の取材でも、「志の春さん」と呼んでもらうようにお願いしています。自分はできた人間ではないという自覚もありますし、私の場合、「師匠」なんて呼ばれるとダメになっていくでしょうね。
会社でも、上司と部下、顧客と営業など、上下の関係性があるから相手が笑ってくれる場面がありますよね。 立場が上になるほど、気を使ったりお世辞だったりで笑ってもらえることが増えるわけで、「本当に笑ってくれているのか」を判断するのは難しくなっていく。 だからこそ、上の立場にいる人は心の窓を開き、「何か面白い話あったら教えてよ」というスタンスでいる必要があるのでしょうね。 新しい考えが入ってこなくなるのは損ですから、下の立場の人の話を否定せず、好奇心を持って「そうなんだ」と面白がって聞く。 そういう人は少数ですから、それだけで下の人から話が入ってきやすくなると思います。そのような姿勢はどの業界においても大事なのではないでしょうか。