大河ドラマ「光る君へ」主人公の日記を「本人による現代語訳」!? 紫式部の真実が一冊に
吉高由里子さん演じる「まひろ」(=紫式部)を主人公に、一人の女性の等身大の人生を描く大河ドラマ「光る君へ」。 『源氏物語』の作者でもある彼女の赤裸々な思いが綴られた『紫式部日記』に、作家古川日出男さんは、紫式部本人に現代語訳してもらうという圧巻のアイディアで新たな光を当てました。 日記を元にしたこの「創作」によって、大河ドラマで知るあの女性の人生が、「たったいま」のこととして読者の前に現れます。 作家いしいしんじさんがその魅力を論じました。 ≪本文・いしいしんじ≫
クラインの壺におさめられた「いま」
自宅から自転車で五分ほどのところに、「源氏の物語」がここで書かれた、と伝えられる邸の跡がある。現在は廬山寺という天台系の寺院が建っている。 本堂で庭の地面を見ながら風を浴びていると、不意に、千年の時間なんて、五分前と同じ、ほぼ「いま」だな、という気になる。たったいま、道長から贈られた陸奥紙に、彼女は筆を立て、さらさらと仮名を書きしるす、滑らかな流跡が風のなかにひるがえる。 「紫式部日記」は、彼女の手による、ふしぎな読みものだ。中宮彰子の出産前後の日々をつづった記録であるいっぽう、随所にため息まじりの独白がちりばめられ、後半にはえんえん、日々の記録とはかけはなれた、宮中の女性たちの「品定め」のような記述がつづく。その「ふしぎさ」に脈絡を与えようと、「冒頭ふくめ、散逸した箇所が少なくない」とか「後半のひとり語りは、どこかの時点で、誰かにあてた手紙とごっちゃになった」とか、これまでいろんな理屈が語られてきた。 その「ふしぎさ」を、「フィクションライター」古川日出男はまるのまま受けとめる。「現代語訳」をするにあたり、「先輩フィクションライター」紫式部を、時のむこうから「いま」へと招来する。「いま」の上に「日記」を差しだし、そのテキストを書いた本人に「現代語訳」してもらう。という、クラインの壺のようなフィクションを編む。 当然、複数の「いま」が、ちがう日の光のように交錯する。 (1)いちばん旧い、日記に書かれたできごとの起きた「当時(いま)」(道長が酔って泣いたり、宮中に追いはぎが出たり)。 (2)紫式部がみずからの房で日記を認めている「昔(いま)」。 (3)フィクションの紫式部が訳文を語っている、どこにも属さない「今」。 (4)読者がフィクションを読んで、じんときたり、ええっ、と驚いたり、「いま」を忘れてページを繰ったりしている「現在(いま)」。 これら複数の時間を、古川日出男が語るフィクションの「時(いま)」が束ね、ほどき、つなぎ、重ねる。その楽しさ。自在さ。 日付とはくさび(・・・)だわ。おまけに正確な記録というのはこのくさび(・・・)を要求する。八月二十日すぎに進もう。このころからお邸のありさまがさらに変わりだした。 とまどいは、あって当然です。ここは――この日記の内側の世界は――少しも「現代」ではないのですから。一千年以上もむかしなんですから! やがて「くさび」ははずされる。日々の正確な記録は、跳ばされ、要約され、背景に遠ざかる。かわり、日記の深部から「ノーマルさからは外れ」た感性が噴出し、テキストを「グルーミィ」の色に染めぬく。そこには、死の影、閉塞、偶然、悪夢が、輪郭をとらないまま渦巻く。彼女の著した巨大な「もの語り」で、主人公たちの魂にしみついていたものと同じ。あるいは、すべての「いま」を通じ、自らを生きるほかない人間の、いっそう切実な、普遍の「わたし語り」。 見取り図にのっとって、ではない。古川日出男は聞きのがさない。「気質というか本質、ネイチャー」で、紫式部はこのように書く。このようにしか書かれない。結果「わたしは日記をつづけようとするモチベーションをうしないました」とまっすぐに語る。クラインの壺が、いつのまにか完結している。 すべての書物は、読まれる瞬間、読むものによって「現在語訳」される。古川と紫式部の輪唱に乗ってぼくたちの「いま」は未知の生きもののように伸び縮みする。本書と「日記」の原書を携え、廬山寺まで自転車を走らせる。いったいどんな「いま」が、まわりつづけるぼくの車輪に引っかかるだろう。 ※この記事は「波」2023年12月号に掲載されたものを再編集したものです。 【もっと読む】后につかえるわたしはなぜかブルーで、グルーミィ。古川日出男『紫式部本人による現代語訳「紫式部日記」』(新潮社刊)試し読みはこちらから