波動を感じ、開示される「秘密」を撮らせてもらう―写真家・六田知弘氏
光の粒子と一体になる
シェルパの村での作品を集めた処女作『ひかりの素足―シェルパ』(1990年)、中世ロマネスクの教会や修道院を題材とした『ロマネスク 光の聖堂』(2007年)『石と光 シトーのロマネスク聖堂』(2012年)『ロマネスク―光と闇にひそむもの』(2017年)。六田氏の作品集には光をタイトルとしたものが多い。 自然光での撮影を大切にする六田氏の原点は、小学生の頃に祖父に連れられて奈良の古寺を巡った経験にある。薄暗い堂内で、ぼんやりと仏像が浮かび上がるのを何時間も見続けた。そうすると、「光の粒子が見え、粒子の塊の中に僕が入り込む。そして対象物が発するものと僕とがいつもシンクロした」という。 それはシェルパの村での体験によって確信的となる。『ひかりの素足―シェルパ』の後書きで、六田氏は次のように記している。 「そうした光の拡散と密集のめまぐるしい交錯のせいか、ぼくはしばしば奇妙な眩暈(めまい)に引き込まれた。カメラを構えて世界を覗(のぞ)き込みながら、なぜかぼくは異世界の入り口にいると感じた。そしてまた、この世界と異なる世界が、境界をおかして随所でこの世界に侵入してくるのを感じた。」 六田氏が捉える光は、国境や宗教を超えて共感を呼ぶ。ロマネスクの教会建築を撮影した写真展をパリで開催した際、来場者からは「私たちが子どもの頃から教会で感じていた光が写っている」「東洋人のあなたが、なぜ私たちが感じる光を捉えることができたのか」と感嘆の声が多数寄せられた。 装飾がなく薄暗い修道院の堂内へと小窓から柔らかい光が差し込み、光と影の中に神を感じる―。800年以上にわたって人々が信仰してきた記憶の堆積が発する光の波動を六田知弘という受信機が受け止めた証ではないか。
「宇宙の秘密のかけら」が写る
フィルムの時代に写真家としてのキャリアをスタートさせた六田氏だが、デジタルカメラの登場がターニングポイントとなったという。 フィルムカメラは、撮影したものをすぐに確認することができない。写せば写すほどコストがかさむので、事前に理想形をイメージしてから慎重にシャッターを押すことも少なくなかった。だが、デジタル時代となってそうした配慮は無用となった。余計なことを考えずに済むようになり、六田氏は「意識していては撮れない『宇宙の秘密のかけら』のようなものが、デジタルカメラならふっと写り込んでくれる」と話す。 初めてデジタルカメラで撮影したのは運慶の仏像だった。狭い堂内では大型のフィルムカメラが使えなかったためだが、仏像が発する「気」のようなものの動きを感じ、シャッターを切った。その場で液晶画面を確認すると、自分の感じたものがそのまま写り込んでいる。「うわー、凄いものが写ってきた!」と、思わず唸り声を上げてしまったのを今でもよく覚えているという。 展覧会などでは、多くの人に「光を待つのでしょう?」と尋ねられるが、「そんなことは絶対ない」と否定する。光の加減を事前に構想して撮ることはしない。「現場では被写体の周辺を歩き回りながら、ふとした瞬間に出会った光で無意識のうちに撮る」のだという。そのスタイルは一貫して変わらず、進化するデジタルカメラによって表現の可能性をさらに広げている。 意図せずに導かれ、被写体と共鳴した写真家の感動が作品を通じてさらに人々に共振し、広がっていく。そうした波動を受け止める「アンテナ」はますます鋭敏になり、これからも、見る者を秘密の異世界へといざなっていってくれるだろう。 インタビュー:近藤久嗣(nippon.com編集部) 構成・文 : 住井亨介(nippon.com編集部)