波動を感じ、開示される「秘密」を撮らせてもらう―写真家・六田知弘氏
「撮って良いよ」と言ってくれる
被写体が「秘密」を開示してくれる時は、「撮っていいよ」と語りかけてくれるのだという。その言葉に従い、撮らせてもらう。六田氏は「考えているよりも、被写体はもっと豊かなものを発信している。僕がそれを受け止める『受信機』になっていないといけない」と話す。 日常の意識を脱した「無心」ともいえる状態を、六田氏は「ニュートラルになる」「意識が下がる」と表現する。被写体に臨むにあたって常に志向する状態だ。仏像や美術品、建築物など、さまざまな被写体が語り掛けてくるものを、そのまま撮る。被写体が代わっても、その姿勢に変わりはない。 六田氏が受信機となって感じ取るものとは何なのだろうか? それは、被写体が内包する「祈りの記憶」と「時の記憶」だという。東日本大震災の被災地に残されていた遺物の撮影では、生前それを所有していた人の記憶、被災の前後に流れた時間の記憶、それらが強い波動となって感じられた。 数百年から千年以上もの時を経た仏像では、その記憶が一層濃厚になる。信仰者として仏像を制作した運慶、信仰の対象として仏像に手を合わせてきた人々、そうした記憶の堆積が発する波動に自身をシンクロさせ、受け止める。六田氏は「写真家は、それらをキャッチする受信機的なものを持っていることが必要だ」とも言う。
「写真は自己表現に向いていないメディア」
六田氏とて初めから、こうした境地に達していたのではない。早稲田大学の学生だった頃、新しい地平を切り拓いた写真家として尊敬する東松照明氏(1930~2012年)に弟子入りを志願したが、あっさり断られた。だが、作品の講評を受けながら交流を続ける中で、ある時東松氏からこう言われた。「君は自己表現の手段として写真をやろうと思っているのか。写真は自己表現には全然向いていないメディアだ。小説や絵画の方がずっと自己表現できる」 「東松さんの写真こそ、自己表現そのものじゃないか。何を言っているんだ?」──そんな疑問が氷解したのは、それから2年がたってから。大学を卒業後、ネパール東部ヒマラヤ地方に暮らす少数民族シェルパの村にのべ18カ月滞在し、人々や風物を撮り歩いた時だ。 「自分の外側の世界の方が、圧倒的に広くて深いやないか。小さな僕が自己表現として、それを撮影するなんておこがましい。できる訳がない。モノが発する、言葉で捉えきれない部分を受信機となって写真に定着させるのが自分の使命だ」。それがシェルパの村での「自己の世界観を激変させる体験」(六田氏)を通じて得た結論だった。 「自己表現には写真は不向きだ」という東松氏の言葉。あの時、ようやく自分の腹にすとんと落ちて以来、六田氏の信条であり続けている。