花田紀凱が語る「ヘイト批判への反論」爆売れ保守系雑誌『WiLL』『Hanada』生みの親…WiLLとHanadaの違い
現代は周囲からの圧力が強まっている
――2014年頃は「ヘイト批判」もありましたが、これはどうですか。 花田 まあそういう人もいるだろう、というくらいかな。一方では「よくぞ載せてくれた」という声もあったし。 ――「どうしてそういう記事が掲載され、読まれるのか」というのもありますよね。例えば3大テーマの一つの「中国」も、2000年代に入ってからの中国の経済や軍事力の伸び、国際宣伝戦や情報戦に対する警戒からくる面があるわけで、それを十把一絡げに「ヘイト」というのはどうなのかと。そのあたりは、批判する前に話を聞いてくれと思うんですが。 花田 右寄りだ、ヘイトだと言われたことで、面白いと思った書き手が雑誌に登場しなくなるのはツライよね。ぼくが編集する雑誌にその都度、連載してくれていたみうらじゅんさんの連載が終わったのも、「どうしてあんな右寄り雑誌に書くんだ」という周囲からの批判が強まったことが理由でした。ぼくは続けてほしかったんだけど、今はそういう圧力が強いのかな。 ――2018年9月号の『Hanada』にオウム真理教の幹部が死刑執行された件について書いた江川紹子さんも、旧ツイッター(現X)上で「どうして安倍政権擁護の『Hanada』なんかに寄稿するんだ」などと批判されていました。 花田 江川さん自身は長年、オウム事件を追いかけてきたジャーナリストで、記事でも別に右寄りなことを書いているわけではない。『週刊文春』時代からの付き合いで原稿をお願いしただけだからね。そういう圧力が働いて、雑誌の幅や書き手の活躍の場が狭くなるのはもったいないし、つまらないし、残念だよね。
『正論』は論壇誌だが、『文藝春秋』も『WiLL』も論壇誌ではない
――2009年に『諸君!』が休刊になる一方、『WiLL』は部数が伸びました。社会に対する一定の影響力を持つことについてはどう思っていましたか。 花田 影響力なんてそんなにないんじゃない? ――保守系の雑誌の中で一番売れていたことで、私の中では「論壇で責任を果たせているのか」と、編集者である立場として結構大きな負荷がかかっていたんですよ。 花田 うーん……。だいたい、論壇誌って何なんだというのもあるよね。うちは論壇誌なの? 新聞各紙の論壇時評では『WiLL』や『Hanada』は取り上げられない一方、『文藝春秋』がよく取り上げられる。でも『文藝春秋』は本来、論壇誌ではないんじゃないかと思うんだけど。『世界』や『正論』が論壇誌だっていうのはわかる。『中央公論』もまあ論壇誌かな。 ――『文藝春秋』は総合誌ですかね? 私は『WiLL』や『Hanada』も論壇誌だと思っていたんですよ。だから「論」を立てないといけない、「論」を世に問い、それを方々から検証してもらわなければならないと思ってました。 花田 「論」なんて、それはぼくが一番苦手なことじゃない、はっきり言って(笑)。 ――言われてみれば……。 花田 ぼくは雑誌というものを、もっと幅広く考えているからね。要するに面白ければ何でもいいという話なんだけれど。面白くて、読者のためになる、載せる意味があればね。雑多なものが載っていての「雑誌」だし。だから自分の作る雑誌が論壇誌だと思ったことは一度もないし、ぼくには論壇誌は作れませんよ。