「明智光秀にはならない!」 惨敗が予想される茂木幹事長が「書くな」と言う「知られざる過去」
明智光秀にはならない
自民党の茂木敏充幹事長(68)は、9月27日投開票の総裁選への出馬意向を固めた。政府や党の要職を歴任し、約40人の自派閥を率い、岸田政権では麻生副総裁と共に3頭政治と自らなぞらえ、次期首相・総裁への思いを隠すことはなかった。岸田首相が総裁選に不出馬を表明し、ついに出馬のチャンス到来と思われたが、推薦人確保さえ難航する状況だという。 【写真】「わぁ、こんなにきれいな人がこの世にいるのか!」 石破氏は慶大時代、妻・佳子さんにひとめぼれしたという その茂木氏、記者に「書くな」と要請している「広めてほしくない過去」があるようで――。
「岸田政権では首相と茂木氏との関係が悪化していました。仕事ができるとされていた茂木氏がさまざまな懸案の調整をサボタージュしているとも言われましたね。首相が総裁選に出馬した場合でも、それを裏切るように出馬するのではないかというふうに取り沙汰されていました。しかし、茂木氏自身は、“明智光秀にはならない”旨を主張して、これを否定てきました」 と、政治部デスク。
日本新党から立候補
首相の不出馬表明を受け、裏切り者になる可能性もなく、心おきなく出馬できる環境が整ったはずだったが……。 「頼みとしていた麻生氏は自派閥所属の河野太郎デジタル相の支援を明らかにしました。政策集団となった茂木派もこれまで茂木氏がグリップできていなかったこともあり、他の立候補を模索する候補の応援に回る者が出てきています。20人の推薦人の確保は可能とはいえ、それすら容易ではないというのも実情でしょう」(同) 茂木氏は栃木県出身。県立足利高から東大経済学部を経て、1978年卒業。丸紅に勤務してハーバード大大学院に留学して修士号を得た。それから読売新聞政治部に短期間務めた後、7年半にわたってマッキンゼーに勤務。 1991年に独立して経済評論家として活動し、著書を出版し、メディア出演をこなした。この頃に自民党に入党したが、1993年6月に離党。7月の衆院選には日本新党から旧栃木2区で立候補し、トップ当選を果たす。茂木氏は37歳だった。