「明智光秀にはならない!」 惨敗が予想される茂木幹事長が「書くな」と言う「知られざる過去」
一度出てまた戻ってきた人物
1994年に日本新党は解党。これに際して結党された新進党に茂木氏は参加せず、自民党入党を選択した。 「茂木氏の経歴を書く際に、“日本新党”を外すように要請されます。その要請は広範囲に浸透しており、現場の記者が記述していてもデスクがカットするので、今や実質的には要請されることもないですね。理由を聞いたことはありませんが、茂木氏自身、自民党を一旦裏切ったという思いがあるのかもしれません。一度出てまた戻ってきた人物だと見なされれば、同様の過去がある石破元幹事長を批判できないと考えているのでしょうか。『一度裏切ったような奴は信用できない』というのは石破氏への批判でよく言われることですが、その理屈で言えば茂木氏もアウトとなる。明智光秀を持ち出していたのも、そのあたりと関係している可能性があると指摘する人もいましたね」(同) 直近の世論調査で、次の総裁にふさわしい候補の上位にはその石破氏や小泉元環境相が並び、茂木氏は下位に沈む。 「もともと茂木氏は1回目の投票で2位に滑り込み、決選投票で議員票で追い抜くという青写真を描いていたようですが、現時点での情勢はそれを許さない感じですね」(同)
山奥の分校、兼業農家
いくつもの誤算が絡み合って、出馬の正式表明前からすでに惨敗の二文字が見え隠れしているようだ。 「茂木氏は小学生の頃、足利市内の山奥の分校に通っていたそうです。家系は世襲でも特に裕福ということもなく、家業は兼業農家だったと言います。そういった出自の人物が有力政治家、首相になれる環境があるべきだというのも持論のようです。世襲批判は理解できますが、今回の総裁選で自民党が求められているのは旧来の政治の検証と刷新感、クリーンさ。たたき上げで仕事ができることがウリの茂木氏ではありますが、それ以外のアピールをできなければ評価されるフェーズではなさそうです」(同) 自ら3頭政治と称して政権運営を牛耳るように振る舞ったこの数年が、彼の絶頂期として記録されるのだろうか。 デイリー新潮編集部
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