【証言・北方領土】択捉島・元島民 長谷川ヨイさん(3)
赤十字船での食事「おいしかった」
私ら子供黙って聞いてたんだけどさ、いや、シベリア連れて行かれるの、ロシアのとこへ連れて行かれるんだってね、生きて日本帰れないって、みんな大人たちがな、話して。そうしてるとこに赤十字の船入ったでしょう。んたら、大人も子供、わんわん泣いたよ、「ああ、日本帰れる」って。ね。 だから、あのときはね、ちょうど赤十字の船に乗ってね、たるに入ったおみおつけとな、真っ白いご飯とな、食べたとき、いやあ、こんなおいしいもの、今、考えると、食べたことないくらいおいしかったよ。 ―樺太にはどれぐらい滞在したか? 何ぼもいないよ。だって、本収容所行ったら、あんた、食べるものないから、いられないしょ。5日ぐらいしかいない。 そうして、今度ね、おトイレが遠くて、遠くて、遠くてね、3町も4町も行ったとこ、外歩いていかなきゃ。夜も。そしてね、大きい家の中にね、板っきれ、こんな板っこだわな、いっぱい、こうね、並べて、ね、真ん中空いてて。そこにね、おしり丸出しでね、大も小もすんだよ。大人も子供も。それでもな、あのころ恥ずかしいなんて思わない。必死だものね、生きるのね。 だけど、私、何か私、変だったのか知らないけど、赤十字の船、入って、入ったとき、祖国っていう言葉、頭に浮かんだな、私、何だったんだべ。ね。6年生だらねえ。 私、引き揚げてきて、こんな年んなったんだよ、見せてあげるか。私ね、たった1枚しかないの。あれ。私が8月と9月にまたがって青森行ったしょ。ったらね、思い出に写真、いとこがいてさ、「あんた写しな」ったから。この年で引き揚げてきた。 ―いつ撮影された写真? だから、引き揚げてきたとき。青森にね、引き揚げて来て、青森に落ち着いたときね、思いついたから撮れたの、いとこが、いっぱいいたでしょ、青森はね。すごく親切にしてくれてね、こういってさ、写真も思い出撮れとか、親切にして、こんな服なんかね、いとこの服だ、もらって。何も着るものもなかったもん。 でね、これが島の写真だよ。うちの父とね、長男。これね、うちの裏の山。で、昔、ちょっとこんな格好してたんだぞ。これがね、着物、ドンザっていうんだと、青森では。ね。刺し子みたいの、ドンザっていうの。ちょっとこれ、うちの父、鉄砲持ってるわ。ね、長い鉄砲、うん、下げてる。これが長男さ。